はじめに
深刻な成人病の一つであるアテローム性動脈硬化症は,その発症原因の有力候補の一つとして,血管内壁面での血流によるせん断応力の低下が指摘されています. さらに,血管壁での各種生体物質の透過性の変化や,血管壁内部での低酸素分圧などが疾病進展の要因の一つであることも示唆されています. 今日ではこれらの諸因子が複雑に絡み合い,動脈硬化症好発部である動脈分岐部や曲り部でアテローム性動脈硬化症を引き起こしていると考えられています.
本研究では,疾病の進展には血管の幾何形状が重要な鍵を握っていると考え,動脈硬化症好発部である頸動脈分岐部に着目し, 血管の幾何形状の違いがせん断応力の大きさと分布,酸素分圧などに与える影響を,数値シミュレーションにより調べました.
数値シミュレーションモデル
頸動脈分岐部の幾何形状については,広く採用されている平均値モデルを採用しました(図1).分岐部の開き角度については,加齢とともに増大する傾向が認められています. さらに,内・外頸動脈の血流の流量比についても加齢とともに偏りが生じる傾向が認められています.従って,分岐部モデルについては若年層(24±4歳))と老年層 (63±10歳)の血管形状を模擬したモデルを用意し,血流量に関してもそれぞれのデータに基づいて調整した値を用いました.血管壁については剛体モデルを採用し, 血管壁内部で酸素に関する拡散方程式を解いています.血流に関しては粘性流体のナビエストークス方程式と酸素に関する移流拡散方程式を解いています. 計算格子については約100,000個の六面体要素を用いた構造格子を採用しました.血液の粘性,酸素の物質拡散係数などの物性値は文献値を用いました. 数値シミュレーションソフトはANSYSのFLUENTを用い,係数行列は並列計算によるガウス直接法で解きました.
血管幾何形状が流れに与える影響
図2に分岐部縦断面内の血流の速度分布を,分岐角度が大きい場合と小さい場合について示します.総頚動脈をおよそ秒速4~50cm 程度で流れてきた血流は分岐部にぶつかり,流れは内・外頸動脈に分かれます.分岐部のすぐ下流部の頚動脈洞と呼ばれる部分では血流速度が大きく減速し, 流れが淀んだ領域が生じます.頸動脈洞は最も動脈硬化症が発症し易い部位として知られており,特徴として血流による壁せん断応力が極めて低くなることです. 図3は頸動脈洞の横断面内に生じる回転流れ(二次流れ)の様子です.壁近傍の血流速度が,分岐角度が大きい場合により小さくなることが分かります.
血管幾何形状が酸素輸送に与える影響
図4に分岐部縦断面内の酸素濃度を,分岐角度が大きい場合と小さい場合について示します.肺で酸素を得たばかりの新鮮な血液が体内の中で一番初めに流れる場所なので, 血中酸素分圧は高く,分岐部のほぼ全域で90mmHg程度の値を示します.しかしながら,血流の速度分布で見たように,頸動脈洞での酸素分圧は極度に低くなっています. これは,この領域では血流が淀むため,上流からの酸素リッチな血液が血管壁に届きにくいためです.この部位は慢性的に低酸素状態になるため,動脈硬化を始めとする, 虚血による様々な炎症が死生じやすい部位であることが,今回の数値シミュレーションで明らかになりました.
図1 図2 図3 図4