マーチン・ファン・クレフェルトは、『戦争の変遷』の冒頭において「亡霊が先進諸国の参謀本部や国防省の廊下を闊歩している。それは、自分たちの軍隊が無力・無能になっているのではないかという不安であり、さらには、自分たちの軍隊に今日的意義はないのではないかという懸念である」と記しています(*)。これは、戦争の特質や軍隊の任務・役割が変化していく中で、その変化に追従できない軍隊がプロフェッション(専門知識・技能団体)としてのあり方に不安を抱いていることを表現したものでしょう。
冷戦期までの軍隊は、明確に判断できる敵に勝利することを目的とした戦闘集団でしたが、現在では定かではない脅威に備え、平和構築や民主主義の再建までを含めた幅広い分野で多種多様な能力をもって任務をこなす組織となっています。しかも、敵に我の意志を強要するという戦争の本質に変化があるわけではなく、軍隊は依然として戦闘集団としての側面を持つことには変わりはありません。そのようなハイブリッド状態で軍隊は何を残し、何を変えなくてはならないのか、プロフェッションとしてのあり方を模索しています。
このような変化を最も敏感に受け止めプロフェッションとしての軍隊のあり方を検討しているのが米陸軍です。なぜなら、米陸軍は湾岸戦争やイラク戦争における迅速な勝利の一方で、イラク・アフガニスタンでの安定化作戦における失敗という大きな損失の上に適応を図り、さらに現在、対テロ戦争後の新たな状況への適応を再び迫られているためです。近年、米軍においては陸軍に端を発し、統合参謀本部や各軍において軍事プロフェッションのあり方について再検討が行われており、軍内外の専門家による議論も盛んになっています。
そこで本研究プロジェクトでは、米軍が検討しているいくつかの課題、例えば①軍事プロフェッションの見直しを迫られた背景、②プロフェッションとしてのあり方をめぐって過去にどのような失敗を経験し教訓を得てきたのか、③軍特有の技能や組織、政軍関係、職業倫理、および専門性の領域の変化と影響をどのように捉えているか、④将来の軍事組織に求められる人材とはいかなるものなのか等の分析結果を踏まえて、自衛隊や防衛大学校が将来求めなくてはならない軍事プロフェッションのあり方を探求します。もちろん、自衛隊と米軍には、軍事プロフェッションのあり方について共通点も相違点のいずれもがあるはずであり、これを支える士官学校から戦略大学に至る専門軍事教育(PME)の内容にも、両者の間には自ずと違いが生じることも予測されます。
*マーチン・ファン・クレフェルト(石津朋之監訳)『戦争の変遷』原書房、2011年。