卒業生からのメッセージ

― 総合安全保障研究科の2年間を振り返って ―


五十嵐 隆幸 3等陸佐 第18期卒業(国際安全保障コース)

ベルリンの壁が崩壊した翌年、私は陸上自衛隊生徒として少年工科学校(現・高等工科学校)に入校し、自衛官の道を歩み始めました。冷戦終結後の国際社会は、ロシアとアメリカとの間の核戦争の危険性が大幅に縮小したものの、中東のような地域では紛争が繰り返され、東アジアでは朝鮮半島や台湾海峡両岸のように冷戦構造が残り、必ずしも「平和の時代」が訪れたとは言い難いものでした。混沌とした情勢の中、自衛隊は国際社会からの求めに応じ、国際平和協力活動に積極的に取り組んでいくようになりました。自衛隊の活動範囲が海外へと広がる中、部内選抜で幹部自衛官に任官した私は、自らに与えられた任務や諸外国の軍人と接する中で国際社会に通ずる「教養」の必要性を痛感し、職務の傍らで大学の通信教育課程を履修することにしました。少年工科学校卒業から15年以上を経て受講した大学教育は私の知的好奇心を擽り、安全保障に関する幅広い視野と科学的な分析能力を習得したくなり、いつしか総合安全保障研究科(以下「安保研」)を志すようになりました。その後、安保研出身者の下で勤務する機会に恵まれた私は、さらに安保研への思いが強くなり、幸いにも上司の理解を得ることができ、安保研への道が開かれることとなりました。

安保研では、安全保障に関する高度な知識を修得することにとどまらず、「大学院」教育の究極的な目標として学術論文を執筆し、学位授与機構の審査を受けて「修士(安全保障学)」を取得することとなります。入校後、最初の半年はゼミ形式の授業が主体となり、学生が作成したレジュメに基づき自由に議論を展開し、理解を深め合います。一方で、1年目の後半から修士論文執筆に向けた「総合研究」(通称「PJ」)が始まるため、自らの研究テーマを絞り込んでいくこととなります。PJとは、研究の進捗状況を発表し、教官10余名から鋭い指導を受け、修士論文の質を高めていく科目です。我が国の安全保障研究を代表する錚々たるメンバーから直接指導を受けることができるPJは、まさに「安保研名物」といっても過言ではなく、その質疑応答を通じて、安全保障に関する実践的問題解決能力を身に付けることができました。

そして、安保研最大の特色は、学生の多様性にあると断言することができます。18期学生は、陸海空の1佐から1尉までの幹部自衛官、海上保安庁と参議院事務局からの依託学生、モンゴル陸軍の留学生、そして一般の大学を卒業したばかりの「特別研究員」で構成され、年齢は45歳から23歳までふた回り近く離れていました。このことを聞くだけでも多様性を想起できますが、それぞれの研究テーマは、時代で言えば明治期から現在まで、地域で言えば日本のみならず世界各国、分野で言えば理論研究、地域研究、組織研究、制度研究、歴史研究など多岐にわたり、様々な経験を持つ同期との意見交換を通じ、自らの研究テーマ以外の安全保障問題にも見識を広げることができます。また、研鑽の場は校内の研究室に留まらず、自ら時間を作って大学等が開催する公開講座や各種学会活動に参加し、様々な人と議論を交わすほか、資料を求めて日本全国を飛び回ります。さらに、18期学生では、米国、中国、台湾、エチオピア、ケニアといった海外へと足を運び、図書館や公文書館などで資料を収集したり、有識者と意見交換をすることで研究を深めていった者もいます。このような同期と親交を深めて人脈を構築できることも、安保研の魅力と言うことができます。

安保研では、学ぶことが仕事という恵まれた環境の中、安全保障問題について思考を巡らすことができます。ただし、受け身の姿勢では決して成果を得ることができません。本来、研究や論文執筆とは孤独なものであり、教官から手取り足取り教わるものではありません。安保研入校期間中に定年退官された教官は、その分野において学校で一番詳しくなって「学士」、日本一で「修士」、世界一で「博士」の学位が与えられると表現されました。つまり、自らの研究テーマについては教官よりも詳しくなるという気概を持って研究に臨まなければならないのです。そう思うと、安保研の2年間は決して平坦な道のりではありません。しかし、日本一の研究を目指して積極的にチャレンジする精神こそ、安保研で得られる最大の成果なのです。

卒業生の一人として、安全保障問題に関心を持った向学心に溢れる人が安保研に志願することを期待しています。

 



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