人間文化学科第4回「映画で考える」 14.10.11

『トッツィー』


田中 真紀子



あらすじ

 売れない男優が女装して役にありつくことを思いつき女優トッツィーとして売れ出し、人気者になる。  だが、そこで知り合った共演女優を好きになってしまい、愛を告白できず、レズと思われ・・・。
 メイクに数時間かけて撮影に臨んだというダスティン・ホフマンの"女優"ぶりに舌を巻く、演劇をテーマとした爆笑コメディーです。

感想

 気軽に見れる作品でしたが、ダスティン・ホフマンの演技は実に見ものでした。「男性」としては全く売れない俳優だったのですが、 「女性」を演じ、さらに自らオーディションで勝ち取った役を演じることによって実力を大いに発揮し、売れっ子となりました。 そして女性を演じるうちに、女性の気持ちが分かる機会が度々あり、自分が傷つけた女性に対して、男性としての自分の行いを恥じたり、 反省したりという場面が何度かありました。世の男性方はこういった場面を見て、「どう感じるのだろう?」と上映中に、 私は実に何度も思いました。
 また、作品中のダスティン・ホフマンの女性としての演技は、「女性を演じることで、女性の気持ち」のが先なのか、 「女性の気持ちがわかった上で演じている」のか、私は理解に苦しみました。 そして、そのことも後ほど行われたディベートのテーマにもなりました。 ディベートは、演技・女性性・非言語コミュニケーションを テーマに取り上げ、行われました。「女性になる」とはどのようなことなのか。 どういう外面・表情・しぐさが、その人らしさを表すことになるのか。 演技は、形・外面が重要なのか、それとも感情・内面が重要なのか。心が先か、身体が先なのか。
 これらに関しては沢山の意見が出ました。化粧や服装を変えることによって、違う自分になりきることができたり、 悲しい感情が涙を出させたり・・・それは時によってまちまちであると思います。ディベート最終的には 「女性は生まれながらにして、女性らしいしぐさ身に付けているのか。それとも、ある女性という殻を意識し演じているのか」 についての討論とあいなりました・・・。

 さあ、みなさんはどうお考えになりますか?みなさんなりの結論を出してみてはいかがでしょうか?


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