映画で考える第5回の題材は、「007は二度死ぬ You Only Live Twice」 であった。この映画は、007シリーズ第5作目であり、 ルイス・ギルバート監督がメガホンを取った第1作目である。ちなみに、彼の007シリーズには、この他に「ムーンレイカー」、 「私を愛したスパイ」 がある。
さて、「007は二度死ぬ」 のあらすじを紹介すると、アメリカとソ連の衛星が次々と消息を立つという不思議な事件が起こった。 米ソ両国は、これをお互いの陰謀であると判断し、一触即発の緊張を迎える。これに対して、英国諜報部は謎の衛星が 日本から発射されているという事実を突き止め、ジェームズ・ボンドを日本へと派遣、現地の諜報部員タイガー田中らと協力し、 犯罪組織スぺクターに立ち向かう。
相変わらずこの映画も、007シリーズのひとつの醍醐味であるトリッキーでイマジネーティブなスパイ道具が使用されている。 「ベビーロケット」という小道具は、タバコの中に仕込める超小型ロケット弾で、27M以内であれば、命中率100%という代物である。 ボンドが乗り回して敵を次々に撃墜した小型ジャイロコプター「リトル・ネリ−」は、分解すれば4つのトランクに収納可能で、 機関銃2丁、火炎砲2丁、ロケット発射筒2門、熱追尾式空対空ミサイル、煙幕発生器、空中投下機雷を搭載している。 また、映画の中でボンドが乗っていた車はトヨタ2000GT。この車は1967年に発売されたが、コスト面の問題から337台しか生産されず、 わずか3年で生産中止となった幻の名車であり、その手の人には涎垂ものの車である。さて、この映画は日本で撮影されたため、随所に日本の風情や町並み、それに文化といったものがスクリーンに映し出される。 この映画には、日本の俳優も出演しており、若き日の丹波哲郎や浜美枝の姿を見ることができる。しかし、個人的に言わせてもらえれば、 この映画はあまり出来がいいとはいえないと思う。CGは稚拙であるし、そもそも、ストーリーに一貫性が見受けられず、 ドタバタ劇に終始している感がある。 とは言うものの、それにも関わらず、この映画は一見の価値がある映画であると思う。あるいは、単純に娯楽映画として観るとしたら、 十分に楽しめる映画でもあると思う。この映画の面白いところは、「日本」というものがイギリス人の視点で描かれているところである。 この映画が製作された年は1967年。今から30数年前に製作されたわけであるが、当時の西洋人は、「日本」をどのように見ていたのか。 それを知るうえで、この映画は恰好の資料となり得るであろう。それに西洋人の日本人像というものは、30数年経過した今でも、 根本的には変化していないので、現在の西洋人から見る「日本」を知るうえにおいても、十分通用するものであると思う。 西洋人のイメージする「日本」は、江戸時代晩期から明治時代にかけての日本である。というのは、日本は黒船来航以来、 200数十年続いた鎖国政策を解き、一転して脱亜入欧をスローガンに、西洋文化の積極的吸収に努めた。そしてその流れの中で、 「お雇い外国人」を代表とする多くの外国人が日本を訪れた。そこで初めて西洋人は「日本」に触れることになる。 それと同時に彼らはその「日本」を自分の国に持って帰った。そしてそこで西洋人は、まだ見ぬ日本に対して、 「日本」というものを形作った。いわゆる「サムライ」やら「ゲイシャ」はその典型である。だからこそ、西洋人のイメージする 「日本」は、私たち日本人からすれば古臭いように感じるのだ。
私はこの映画を鑑賞中、イギリス人の「日本」に対する偏見ぶりに、いささか呆れてしまった。 例えば、ボンドが犯罪組織の秘密基地に潜入する際、特殊部隊としての訓練を受ける場面が登場する。その場所はなんと姫路城。 しかも訓練の内容は柔道、剣道、合気道。挙句の果てには、手裏剣の投げ方の手ほどきまで受ける。いくら日本の特殊部隊といっても、 昭和の日本で手裏剣の訓練を行っていたとは考えにくい。また、ボンドが犯罪組織の目を欺くために、日本の諜報部員の女性と 偽装結婚することになるのだが、ボンドは黒髪のかつらに釣り目の出で立ちで、神前結婚を行う場面がある。 そこにお坊さんが鐘を撞くシーンが挿入されるのだが、神前結婚でお寺の鐘は、日本人なら、あり得ないことだと分かるのだが、 そういうところは西洋人の持つ「東洋の国日本のイメージ」に合わせて、「いかにも日本らしく見える」ように作られている。さて、そもそもこの映画の主目的は何であったか。ボンドはなぜ日本に派遣されてきたのか。犯罪組織を撲滅すること。 これはあくまでもその手段であるにすぎない。究極的な目的は、米ソの衝突を回避することであった。この映画が製作されたのは1967年。 時はまさに米ソがしのぎを削り、対立していた冷戦の真っ只中であった。科学の発展に伴い、 米ソは先を争って新しい兵器の開発に闘志を燃やした。そしてその熱意は、宇宙に対しても向けられることとなる。 1960年代、70年代は、まさに米ソが宇宙開発で熾烈な争いを繰り広げた時代であった。 1961年にソ連が人間衛星船ヴォストーク1号の打ち上げに成功すると、1969年には、アメリカのアポロ11号が月面着陸に成功した。 この映画は、そういった時代背景の中で製作されたのである。そういうことを意識してこの映画を観ると、 また異なった感慨を受けるだろう。
この映画は一見すると単なる娯楽映画のようだが、その実、非常に奥深く、考えさせられる映画であると思う。その意味で、 私はこの映画を鑑賞されることをお薦めする。