2007年人間文化学科異文化研修旅行

◆ 庭 園 他 ◆


長谷くる実



 私たちは2007年12月25日に成田を発ち、31日に帰国した。26日は上海、27日は南京、28日は再び上海、29日は蘇州、30日は杭州をそれぞれ観光した。宿は変わらず上海のバンドに程近い銀波大酒店だった。ホテルのことを中国語で酒店という。
 皆が皆行動を共にしたわけではなく、だいたい3人から8人のグループに分かれて観光することが多かった。南京や杭州は希望した者だけが行った。
 上海の繁華街と上海博物館を除けば、主な観光地は庭園であった。殊に蘇州は世界文化遺産の庭園があちらこちらにひしめいている。


 上海では豫園に行った。豫園は1559年、明の時代に建設された。四川省の役人潘允端が故郷を懐かしむ両親のために造った庭園だ。豫園の「豫」は「愉」と通じ、すなわち「楽しい園」という意味である。面積は約2万uであり、園内は龍壁によって隔てられている。この白い背丈以上ある壁が大小の楼閣と相俟って庭園に様々な空間を形成している。豫園の周囲は豫園商城という土産物屋や飲食店がひしめく賑やかさと混雑さを極める商業エリアなのだが、ひとたび庭園内に足を踏み入れたならばそこは明時代の静謐が今なおたゆたう私空間である。池に泳ぐ赤い金魚は400年間生きながらえているようにも思える。装飾の要素に溢れた透かし窓のついた高くも低くもない白壁や、回廊を支える何本もの朱塗られた柱が風景をあらゆる構図に分断している。しつこいほどに浸食を受けた岩石が野生的な趣を与え、庭の随所を迷路と化している。       

  


 中国内ツアー客もさることながら、隣国韓国からの旅行客が多い。ツアー連に巻き込まれるとなかなか前に進めなくなるので、私たちは極力人気のない方向に歩いていった。龍の瓦と同じ視界に電線や洗濯物がひらめいていた。時折、喧騒も届いてきた。壁の向こうの現代の中国には模造品が溢れている。しかし、ここには本物しかないようだった。だが外側には人の熱気があり、内側には石の沈黙しかない。


 翌日は蘇州だった。私たちは回れるだけ回ろうと、前夜宿の一室で紹興酒を飲みながら計画した。いかに蘇州が庭園だらけといえども、中国は広い。庭園自体が広大な上に、各々が離れて存在している。そして昼の上海では容易に拾えたタクシーがつかまらない。歩くことになる。
 最も歩いたに違いない私を含む一行は、拙政園からスタートした。網師園、滄浪亭、獅子林、留園を巡る。すべて世界文化遺産である。拙政園は1509年、明代に建築された蘇州最大の古典的庭園である。私の勉強不足故であろうが、庭園は規模の差はあれ、どれも同じ様な形式に則って建築されているように見えた。拙政園は一番整備が行き届いていた。

  
  

     

 
 整備の如何は入園料に比例する。顕著に表れるのがトイレである。大きさや数や清潔感に差が出る。トイレは庭園を区切る白い回廊の隅に庭園の一部として構築されているのが常である。拙政園のトイレは広く、その一角は庭園内に建つ離れの中庭のようなところに面している。細部に至るまで意匠を凝らした建物の開けた扉から、中庭を一人眺めている観光客らしい女性がいる。トイレの壁も、採光と装飾を兼ねた透かし窓に彩られている。日本のトイレのようにそこだけが近代的に整備されているのではなく、周りと調和したまま改修されているのである。洗面所もある。入り口に腰掛まである。そして静かである。つい長居してしまいそうである。今回の旅行で使用に堪えないトイレはお目にかからなかった。だが、ペーパーが無いのは当たり前である。持って行ってしまう人がいる故というのも確かに一つの理由だろうが、日本のトイレが丁重すぎるのだろう。


 蘇州も杭州も絹製品や刺繍が伝統工芸である。残念ながら、観光地化されている有名庭園の周囲に展開する、土産物屋にはためくシルクと謳うスカーフやドレスは、値段も安いが見るからに粗悪である。本物を見つけるのは難しいが、本物は神業かと思えるほど精緻で上等である。当然だが値段も高い。日本円でも高いと感じる程である。
 私たちは土産物屋にはあまり興味を示すそぶりを見せずに歩いていった。バスが暴走する土ぼこりの舞う大通り沿いを、太った猫が瓦の上に寝そべり、老婆が何か熱心に丹念に茶碗を磨いている。その傍を子どもたちがどこからともなく現れては歓声を上げて通りゆく。真冬にもかかわらず、ほぼ下着姿に近い若い女性たちが、子ども服の洗濯物のぶら下がる軒下に立ち並ぶ。白い壁に挟まれた夜の路地裏を、ひたすら歩いた。歩いてこそ見えるものがある。私たちの見た、大きな大きな中国のほんの一部はそのほとんどが地面から160センチ程度の高さからみたものである。高層オフィスビルと高級ホテルの集中する上海の浦東地区の平らな歩道を歩き、地下鉄の出入り口付近に構えられた焼き鳥の屋台から出る煙と、超高層ビルの最上階付近を覆う排気ガスの雲を重ねて仰ぎ見てもみた。対岸のバンドを幾度なく夜歩いた。日中はどこにいたのだろうかと疑問に思うほどたくさんの物売り、物乞い、観光客たちがひしめいていた。すでに止んだ雨で濡れた地面が足元を滑らせることもあった。私たちの多くは黙っていても日本人だと見破られた。マフラーを首に巻き直し「不要(プーヤオ)!」を連呼しながら歩いた。その細長い道路の上に点在する小さな細工物や色鮮やかな飴の屋台の灯りや観光客たちの焚くフラッシュが、すでに止んだ雨で濡れた地面に反射していた。その向こうに電飾で飾られた水上バスが通りすぎていった。あらゆるものの混在が一種幻想的でもあった。

  

  
    
 そうだ。中国の魅力はその大きさと渾沌の内包である、と私は思う。それは巨大なエネルギーの流動である。爆発に近い様相を呈している。大人も老人も走っている。駅構内で口論している。常に議論している。主張している。そしてそれらのあらゆる運動の源は、夕方の路地裏にもうもうと湯気を立ち上らせている饅頭や麺や蒸し卵ではないかと私は思うのである。


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