2週間のオーストラリアへの派遣から帰国し防大に戻ってきた時、私と話す人の8割が「コアラどうだった?」と尋ねてきた。 何もコアラに会うために渡豪したわけではない!
とはいえ、実際コアラは可愛かった。
まるで生きているぬいぐるみ。
全身から溢れるやる気のなさ。
食べる、寝るが仕事ですと言わんばかりの目。
(遊ぶことはあまりなさそう・・・) しかしこちらを向いてくれない。可愛さ余って小憎さ千倍だ。これも日本ではお目にかかれない代物と自分に言い聞かせ、 写真など撮ってみたりした。確かにオーストラリアといえば「コアラとカンガルーとオージービーフ」、
もしくは中1の世界地理で習った 「アボリジニ」の印象が強すぎて、他のことは意外と知られていない。オーストラリアの地図など一体何人が正確に書けるのであろうか、 そう言ってやりたい。そんな私がオーストラリアに行って見たのは、想像を絶するものであった。まず、とにかく広いのである。キャンベラからシドニーまで飛行機で1時間、都会と都会をつなぐのは1本の道路。あとはひたすら森、 森、森。時々農家といった具合で。地図上ならたかが数センチの距離をなぜ飛行機で移動するのかも納得がいく。 これが内陸の田舎のほうになるともっとすごい。まさに「カントリー・ロード」なのだ。牛のち羊、ところによりカンガルー (たまに轢かれて昇天しているものも)。引率士官のポッター大尉は「人口密度より動物の密度の方が高いぞ」とおっしゃっていた。
そしてこんな広い空、広い大地で生きるオーストラリアの士官候補生や軍人達は本当におおらか。ちょっぴりルーズ、 せかせかしていない。学生食堂(mess)に食事に行っても、選ぶのに時間をかけ、食べるのに時間をかけ、よく喋り、 デザートを食べ、そのあと必ずティータイムとなる。人を待つのも待たせるのも全然平気。防大にはない時間の流れにとまどいつつも、 オーストラリア人がおおらかと言われる所以を実感したのであった。また、基本的に親切な国民らしい。部屋や玄関を出入する時は、 一人がそのドアを開けて待っていて、通る人は「Thank you」や「Cheers」と軽くお礼を言って通る。別に軍人に限らず、 一般常識として定着していた。これは一例だが、あらゆる場面であたたかい人達だなぁと感じることが多々あった。 国民性という言葉に振り回され、固定観念を持って相手を見ることはしてはならない。しかし生活、街、言葉、気候、歴史、考え方、 あらゆるものからにじみ出ている「オーストラリアらしさ」を感じることは、決して悪いことではないと思う。
異文化コミュニケーション。言葉だけ聞くとずいぶん難しそうな感じがするが、実際はとても人間らしい言葉である。言語も違う、 生活様式も性格も違う人間同士が理解し合うのに一番必要なのは、お互いを知りたい!という気持ちだ。異文化に触れるとき 「ああやっぱり」という想像通りだったことは1度もない。そこにはいつも驚きや感嘆が存在する。自分の思い込みなど 本当にあやふやで勝手なものであることを、人間文化学科に来て1年半学び続けてきた結果、海外派遣という実践の場において とても素直に、お互いを伝えあうことが出来たと感じる。
また、私の怪しすぎる英語では言いたいことの半分も伝わらない。聞きたいことの半分も聞き取れない。しかし、だからこそ私も相手も 出来るだけわかりやすく話し、一生懸命聞こうとする。そしてなんとなく伝わるのだ。
結局、コミュニケーションの本質は心にあるのではなかろうか?
逆に自分が日本でこのような態度で人と接すれば、もっと分かり合えるのではなかろうか・・・
そんなことを思いながら帰路についたのであった。
帰国してしばらくの間、「・・・だよねぇ」 と話しかけられて
”Yeah!”
と相づちを打ってしまう自分がいた。