シンガポールという国について…

平成15年11月16日〜11月29日



概要

 シンガポール、私たち日本人が普段そのように呼ぶ国は正式に言えばシンガポール共和国(The Republic of Singapore)である。「シンガ(Singa)」はサンスクリット語でライオン、「プーラ(pore)」は町の意味をそれぞれ持つ。私が滞在した2週間(H15.11.16〜H15.11.29の計14日)の間、動物園でしかライオンにお目にかかる機会はなかったが、「マーライオン」と呼ばれるモニュメントを一目見れば、シンガポールという国にとって「マー(海)」と「ライオン」とが如何に重要な意味合いを持つか解る気がする。言い伝えによれば、11世紀、王子サンニラウタマがタマセック(旧シンガポール)に上陸した際に、不思議な生き物を見つけ、それはライオンであると教えられた。そしてライオンに感銘を受けた王子はその地の名前を「シンガプーラ」と命名したそうだ。そして伝説によればマーライオンは、シンガプーラに獰猛な嵐と戦って平和をもたらした頭はライオン下半身は魚という半魚獣がモデルとなっているそうだ。シンガポールの地理的な特性上、海は文物の出入り口であり、生活の基盤であったことは疑いない。その生活の基盤を守った「マーライオン」は21世紀の今も彼らを見守っている。

 彼らとはシンガポール人のことだが、ひとくくりにこの言葉を使用するのはいささかためらいを禁じえない。それはこの小さな、常夏の国の人口比を見ればおわかりいただけると思う。総人口、416万人で民族構成はその77%は華人系、14%はマレー人系、8%はインド人系、その他である。加えて以下のデータも見てもらいたい。公用語はマレー語、中国語、英語、タミール語の4つの言語を用い、宗教も仏教が42%、イスラームが15%、キリスト教が15%、道教が8%、ヒンドゥー教が4%、無宗教が15%、その他となっている。シンガポールの面積(685.4km2)は東京都23区や淡路島の面積に相当するほどに小さい。この小さな国にこれだけの多種多様な人々が生活していると、シンガポールという国に住んでいるからシンガポール人だ、とは簡単には言えない。そして誤解を恐れずに言えば、シンガポール人とはシンガポールに住む華僑のことである。私がこのように断言する根拠はシンガポール共和国建国の歴史にある。以下に、シンガポールの歴史を紐解いていくことにする。

歴史

 一般にシンガポールの略史が語られる時、1819年にイギリス東インド会社のスタンフォード・ラッセルがこの地に上陸した、という始まりである。だが、それ以前に歴史がなかったと言えば嘘になる。ただ、現在のシンガポール共和国の起源が1819年の出来事にあることは間違いない。大国の一企業のビジネスマンが上陸した。そのことが今のシンガポールを語る上で省略できない事件なのだ。ラッフルズはこの地を東南アジア貿易の戦略的拠点にしようとし、これ以降に行われた1824年のイギリスによるシンガポールの完全主権と永久領有権獲得や1867年のイギリス政府直轄海峡植民地の樹立、1895年の周辺地域に支配を広げたマラヤ連邦の形成、等の一連の出来事はラッフルズの頭の中に描かれていた構想と一致するものが多い。そしてシンガポール(当時は現在のマレーシアの一部であった)は19世紀後半にはヨーロッパとアジアを結ぶ中継貿易と通信の拠点に発展した。このことは21世紀となった現在も変わっていない。

 第二次世界大戦中、日本軍に占領されて一時「昭南市」(1942年)と名を変えた。1945年の終戦後は、再びイギリス直轄植民地となる。1948年から独立への動きが活発になり、1963年にマラヤ、サバ、サラワクと共に新連邦(マレーシア)を結成し、イギリスより完全独立する。そして1965年にマレーシアから分離し、大統領を元首とする共和国となり今日に至る。

 シンガポール共和国の歴史を語るのはここからだが、上記の通りこの国は独立して40年も経っていない。すなわち何年に何が起こったという表記の仕方では、この国の歴史は語れない。よって私は、シンガポールの政治についてある人物に焦点を当てながら記すことで、この国の独立から現在に至る歴史を語ることに試みたい。そのある人物とは、リー・クァンユー(李光耀)である。

 シンガポールはリー・クァンユーの国である、と言っても過言ではない。彼の所属政党は人民行動党(PAP)で、PAPが84議席中82議席を持っている。つまり「共和国」とは名ばかりの一党独裁制であることは厳然たる事実なのだ。リー・クァンユーはシンガポール建国の父として高い尊敬を集め、冷静な現実主義政治家として名高く、清廉潔白な性格と将来に対する明晰な洞察力をもって、今日のシンガポールを築き上げてきた。だが、現在の大統領であるS.R.ナザンの任期が終わったあと、大統領となるのは現副首相兼蔵相で退役准将である彼の長男リー・シェンロン氏であると言われている。これは見ようによっては、リー家による大統領職の世襲がシンガポールでは行われているのではないか、と違和感を覚えずにはいられないだろう。そして書店にはリー・クァンユーの自伝がそこかしこに山積みされている。出入り口、新刊の隣、レジの前。その扱いはこの国に存在する出版物としては最高の扱いを受けているようだった。

 シンガポール人とはシンガポールに住む華僑のことであると前述したのも、リー・クァンユーがマハティール(マレーシア初代首相)と袂を分かち、マハティールのマレー人優遇政策に反発する形で華僑の多いシンガポールを共和国として独立に導いたからである。  シンガポールはリー・クァンユーの国であるシンガポール人とはシンガポールに住む華僑のことである、この2つの言葉はシンガポールの特質を端的に示したものだ。シンガポールの政治、歴史、現在を知る上でこの2つの言葉は、より本質に迫れるものだと確信している。次はシンガポールの軍事情勢を概観することによって、更にシンガポールを浮き彫りにしていきたい。

  軍事情勢

 シンガポールはとても小さな国で5日もいれば行くところがなくなってしまう。そんな小さな国は、いや小さな国だからこそ、18歳以上の男子に兵役の義務を課している。私が知っている徴兵制の国を挙げると、スイス、台湾、韓国くらいしか思い浮かばないが、いずれの国も小さいか、近隣諸国の情勢が不安定であるかのどちらかの条件を満たしている。シンガポールがどちらに分類されるかと問われれば、両方といっても良いかもしれない。  日本には「山椒は小粒でもぴりりと辛い」という慣用句があるが、シンガポールはまさにそのプレゼンスを、有事の際は国民が一丸となって国を守るというメッセージを「徴兵制」というシステムを介して周辺国に送ることで、示している。その経済力を活かした近代兵器の数々も侵略されても唯ではすまされないことを物語っているようだ。

 そして日本も学ぶべき点があった。このことは軍事情勢に限らず、国家戦略の観点からも言えるのだが、シンガポール人はシンガポールという国の付加価値を高めようと政治、経済、文化、安全保障のあらゆる面で努力している、ということだ。滞在中、駐在武官の方から聴いたのだが、シンガポールは世界の主要国の軍高官を自国に招いて会議を開いている。その会議の費用は全てシンガポールが持つ。このことによってシンガポールという国の存在が各国にとって大きなものとなり、シンガポールがなければ各国の利益を損なうということになる。またシンガポール国内にあるチャンギ国際空港は、東南アジアにおけるハブ空港として名高い。このようにシンガポールは日本よりも小さな国土で、また少ない資源で自国の存在意義を明確に発信し続けている。このことは、我が国日本も切に学ばなければならないことだと痛感した。

  所感

 今回の海外派遣は士官学校を研修することが主目的であった。しかし、研修期間中はエスコートオフィサーに連れられて、シンガポール国内をつぶさに観察する機会を幸運にも得た。以下、私がシンガポール滞在中に書き留めた日記をもとにして、率直な所感を述べたいと思う。

 11月16日、私たちはシンガポールのチャンギ国際空港に到着した。駐在武官の丸澤1等海佐にご家族で出迎えを受けた後、エスコートオフィサーに連れられてシンガポール共和国軍仕官学校に着く。最初に受けた印象は日本に酷似している、ということだ。違うのは言語、宗教と物価が安いということだけ。ただ違和感を覚えたのは、タクシーの運転手、清掃員、店員は皆インド系かマレー系であった。その一方で、オフィサーの大部分は華人系であった。研修期間を通じて華人系以外のオフィサーにあったのは、2〜3人であった。私が日本に酷似していると思ったのは、デパートに置いてある品物が日本製のものがあったり、華人系の人が日本人のようなファッションで町を歩いていたからかもしれない。本質的には、シンガポールは華僑の国であった。

 11月17日、前夜の暑さと蚊に苦しめられ、速くも常夏の国の洗礼を受ける。食堂は防衛大学校と違い吹き抜けとなっている。南国の心地よい風を浴びながら、朝食をとる。本館とパレード広場、記念館を研修する。とても象徴的な施設だと感じた。私たちの小原台にある本館もその堂々たる姿を正門から入る者に示しているが、本来権力者の住まうところとはやはりそういうものなのかもしれない。

 11月18日、学生たちの訓練風景を見学。概要説明、訓練の実施という一連の講義の流れは万国共通のようだ。今回の訓練は"チュフレ(tripflare)"という地雷の実習。実習中に数人の学生と色々と話す機会を得たが、彼らの中に軍隊のオフィサーを目指すという学生は珍しく、大部分の学生は兵役の義務の一過程としてここにいるようだ。兵役が終わったら何をするのか、と問うと皆口をそろえて「ビジネス!」と言った。さすが華僑の国であるなぁ、と感嘆した。

 11月19日、生まれて初めてドリアンを食べる。「果物の王様」と言うくらいだから、どんな味なのかと期待していたが、あまりおいしくなかったので幻滅する。形容すると、匂いはプロパンガス、見た目は生まれたての豚の胎児のようで、味はねっとりとからみつく感じだった。グロテスクな「果物の王様」は固い刺のついた殻に覆われ、わがままで自己主張がはげしかった。

 11月20日、昼食にシンガポールのマクドナルドに入ってみる。日本と違うのは一点だけ。フライドポテトを買うとチリソースがついてくるということだ。シンガポール人は辛いものが好きらしい。夕食はフードコートへ。シンガポールの食べ物を色々と食べさせてもらうが、そろそろ日本食が恋しくなる。

 11月21日、学生と一緒に、空軍基地を研修する。移動間のバスの中で日本の芸能人についての話題になる。「浜崎あゆみ」、「安室奈美恵」、「深田恭子」などの名前が出てきてとてもびっくりした。そして彼らは日本の女の子は皆かわいいと思い込んでいた。まさか外国で、アイドルの持つ影響力に驚かされるとは思いもよらなかった。

 11月22日、観光地のセントーサ島へ行く。島全体が一種のテーマパークのようなものになっている。シンガポールで一番大きいマーライオンを見るも、少々がっかりする。存在感に重みがなく、そのすぐ近くに島内を移動するためのモノレールが通っていることも、このマーライオンの存在を希薄にしている。しかし、私たちのようにそれを見に来る人たちがいる限り、このマーライオンは存在し続けるのだろう。島内のビーチで休憩。ビーチから臨むマラッカ海峡はタンカーで埋め尽くされていた。マーライオンの頭の上から見た光景も、開発中の工業地帯。タンカーで埋め尽くされたマラッカ海峡、開発中の工業地帯、島内全てがテーマパークのセントーサ。この3つを同時に見せられた私はシンガポールにある「歪み」を感じずにはいられなかった。経済を支配する華僑、土着の民なのにまともな仕事に就けないマレー系の人々、マレー人でさえしないような仕事を引き受けるこの国の最下層に位置するインド系の人々。そこには共和制と言う一見民主的と思われる政治体制をとりながら、一党独裁の国の姿があり、差別はないが、人種によって厳として区別されている複合社会の姿があった。

 11月23日、オーチャードロードというシンガポールで一番華やかな通りに行く。通りは11月なのにクリスマス商戦真っ盛り。立ち寄った店の店員は皆サンタの衣装を着ていた。日本でもここまでやるのだろうか。さすが華僑の国。ビジネスの国だ。伊勢丹、高島屋、HMV、紀伊国屋等の見慣れた店が立ち並ぶ。観光、買い物、保養等、人々の様々なニーズに答えてくれる国、シンガポール、それは同時に多面的で評価の定まらない国でもあることを物語る。

 11月24日、シンガポールで使用されている武器の展示説明を受ける。その後、学生の序業風景を見せてもらうが、教範のデジタル化が進んでいるようで、皆パソコンの画面を見てマウスをクリックしながら勉強していた。人的資源の問題や、徴兵制という制度を併せて考えると、人材育成の効率化が図られているように感じた。

 11月25日、この日は「ハリラヤプアサ」というムスリムの祝日だそうだ。エスコートオフィサーが体調を崩してしまったので、私たちは再びオーチャードロードに行った。ここで日本への土産物を買うことに。土産を買うという行為は相当な労力を使う。結局あれこれと考えているうちに、自分への品をそっちのけでたくさんの商品を買う羽目に…。  11月26日、海軍基地に海軍のオフィサーに連れて行ってもらう。どの基地もそうだが、「9・11テロ」以降の警備がとても厳重になっているそうだ。夕食には日本食を食べる。日本を離れてから10日以上経っており、日本がとても恋しくなる。

 11月27日、学生と一緒に、空軍基地を研修する。まず概要説明。周りの学生は退屈そうで、水を飲んだり、飴を舐めることで眠気を覚まそうとしている。日本とはこういうところが違うと感じる。夕食は防衛大学校卒業のシンガポールの方たちと懇親会。「防大でやっていることはきっと役に立つから頑張れ!」と激励を受ける。

 11月28日、昼食を中華料理屋で、シンガポール共和国士官学校の学校長の代理の方と会食をする。夕食は駐在武官の丸澤1等海佐に自宅に迎えられ、パーティー。丸澤1佐がシンガポールをどう捉えているか、それが仕事にどのように活かされているか、という話を聴く。駐在武官という仕事の内容を聴くと、自衛官を含めて軍人の担う役割が拡大しているということを肌で感じる。

 11月29日、シンガポールを発つ。西の端にあるシンガポール共和国士官学校から東の端にあるチャンギ国際空港まで、タクシーに乗ってわずか30分で着く。今更ながらこの国の小ささに気付かされる。タクシーの運転手は日本の"演歌"が大好きで、車内で歌ってくれた。日本に着き、あまりの寒さに戸惑う。常夏の国から四季のある国へ。四季のある国は既に冬の到来を告げていた。

 この研修では様々な失敗、経験をしてたくさんのことを学んだ。また刺激が多くて、総じて楽しい研修であった。日本以外の国を訪れることで、本やテレビ等のメディアを介しては得られないその国の現実を観て、自分の国への見方も変わった。このことは今後、色々なことを体験し、そこから学んでいく際にも必要なものだと思う。今回の稀少な体験を忘れず、日々の生活に励みたい。


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