浜村教官へのインタビュー


浜村 教官


本日は浜村良久先生にインタビューいたします。

:今さら(インタビュー実施日は3月1日。卒業研究発表会前日!)私がインタビューするのも何か可笑しい(1年間卒業論文指導をしていただきましたので。)気がしますが、今日はよろしくお願いいたします。最初に、防大の先生になった経緯を教えてください。

浜村:東大で助手をしていた時に、防大の先生で超心理学がご専門の大谷先生が退官されるのでその後任に、という話があって防大に来ました。今から14年前(1990年)のことです。

:次に、先生のご専門についてお聞かせください。

浜村:大学院に入ってからの専門は、初めは「攻撃行動」です。なぜ攻撃を研究テーマにしたかというと、「攻撃」だけではなくて、人間の感情に興味があったからです。感情のコントロールなどに興味があって、どういう状況になったら攻撃が起こるか、またどういう状況になったら攻撃が少なくなるかということを、ネズミを使って研究していました。例えば、ネズミにレバーを20回押すと餌がでるといったように働かせます。その時にだんだんネズミがイライラしてきて、すぐ傍にもう一匹のネズミがいると、そいつに喧嘩を仕掛けたりします。それを調べていました。

:専門は「攻撃」ということになるのでしょうか?防大のホームページなどでは、「動物心理学」とあるのですが、この「動物心理学」というのは防大という特殊な環境で専門的に研究できるのかという疑問があるのですが。

浜村:攻撃の研究をするのは、あくまでネズミの攻撃を知りたいのではなく、人間の攻撃を知りたいからなのです。でも、倫理的に、人間の攻撃をそのままの形で実験・研究するわけにはいきません。その代わりに、動物を使って実験していたわけです。以前に、攻撃の一種である八つ当たりについて研究したことがありますが、八つ当たりをすることが出来ると、ネズミはその攻撃を起こさせた状態に対する恐怖が減ります。攻撃を起こさせるような非常にストレスが強い状況では恐怖感が学習されますが、そこで攻撃が出来さえすれば、その場面をあまり怖いとは思わなくなるのです。胃潰瘍も減ります。攻撃というのは社会的に悪いという概念がありますが、攻撃にはプラスの効果もあって、それはストレスを減らすという点ではポジティブな方向に働きます。逆に、うつ病になりやすい傾向にある人は、攻撃が出ません。そういう人に、自分の攻撃や感情を発散させることがカタルシス(心理学用語:抑圧されて無意識の中に留まっていた精神的外傷によるしこりを、言語・行為または情動として外部に表出することによって消散させようとする精神治療の技術)なのです。そういうことをするチャンスを与えると、抑うつを克服できるようになります。ところが、人間に対してストレスをかけて、本当に病気になったり胃潰瘍にさせたりすると困るから、代わりに動物で実験を行っています。だから結局、動物を使っていて、動物心理に関心はありますが、より知りたいのは人間に関することです。

:(私は)浜村先生に、防大生として初めて卒研を受け持ってもらったわけですが、来年度以降も、どういった分野の研究をする学生ならば受け持ち可能か、教えてください。

浜村:特に無し!

:特に無し…?ですか?

浜村:何でもいいということですよ。僕が今、一番興味があるのは、(人間文化)2年生の授業で行う「他者理解」です。他者理解と言うのは防大に来てから始めたテーマなのですが、最初は深く研究するつもりはありませんでした。(しかし、研究しているうちに)これはすごく、先が遠いテーマだなと(感じるようになりました)。最初は他者理解はカウンセリングの延長線上にあるものだと考えていましたが、最近はカウンセリングとはかなり違ったものではないかと思うようになりました。むしろ、カウンセリングはある所までは他者理解を促進しますが、そこから先は、他者理解から離れていくものだと最近は考えるようになりました。そういうわけで、それ(他者理解)に興味を持つ学生がいれば、それはそれで非常に嬉しいけれども、卒論としてやるにはツライだろうね。実験で身近なことをやった方が面白いでしょう。心理学の実験は、新しいことが出てこなかったら、もう一個やればいいんだから。そういう点で、生みの苦しみは少ないかもしれない。自分の世界に閉じこもって研究するようなテーマだと、なかなか心理学は辛いよね。

:心理学はどちらかというと文学系ではなくて、科学的分野であると思うのですが、そのプロセスを簡単に説明していただけないでしょうか。

浜村:どちらのタイプの心理学もあると思いますが、基本的には、科学に必要なものは真実に対する謙虚な姿勢だと思います。科学者はまず新しい事実を見つけたときに、それ(新しく発見した事実)を実験手続きと測定法と同時に提示します。そして、他人がそれを確かめることが出来るようにします。そこで出された仮説が他の人の検証によって正しいと認められて、初めて事実としての価値を持つようになります。検証されなければ、自分がそれをどんなに正しいと思っても、それは捨てられてしまいます。つまり、自分が正しいと思うかどうかではなくて、世界中の研究者の批判の目にさらされて、初めて価値を持つようになるということなのです。あらゆる仮説は、検証されるための仮説です。確かめられないものは単なる感想であって、知識の積み重ねとしての事実にはなりえないのです。だから、文学は自分がどう思うか、どう感じるかが重要でそれを語っていきますが、心理学は、自分がどう感じたかではなく、むしろ実験材料に「自分」は使わないので、「他人」はどう感じ、どう行動するかということに近いかもしれません。他人がどう感じたかなら、本来文学的なデータであっても検証可能ですから、科学的データとして扱えます。だから、心理学は基本的に、他人の心理学、他人の心や振る舞いを理解することだと言えるでしょう。

:明日は卒業研究発表会であり、インタビュアーが卒研指導の学生(社会心理学)ということもあって心理学についての内容に偏ってしまいましたが、本日はどうもありがとうございました。


人間文化学科ホームへ戻る