田中教授へのインタビュー報告(三上沙智、岩田雄一)


田中 教授

 

Q,田中先生が防大に来られたきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

A,きっかけとなった出来事はいくつかありますが、一番は私の前任であられた阿南先生という方との出会いですね。 それまでも先生とはお知り合いだったのですが、奇遇なことに軍事史学会という席において阿南先生のご長男と 親しくさせて頂くようになったのです。以来ご自宅の方にも伺い、何度か遊びに行く機会がありました。 その時に防大で講義をしてみないかという話が持ち上がったのです。初めは話の中で終っていましたが、そのうち具体化され、 阿南先生がご退職されちょうど空いたポジションに私がつくことになったのです。これが防大に来るきっかけですね。

では次に早速ですが、その防大に赴任されてからこれまで教鞭をとり続けていらっしゃる先生に質問をしたいと思います。

Q,防大生だからこそ教えたいことなどありましたら教えて下さい。

A,それはですね、私もこれまでのあらゆる授業の中で何度も申しているとは思いますが、軍及び政府の記録を残す、 つまり歴史を編纂するということを覚えて欲しいですね。ですから学生の皆さんにはぜひ次のようなことを考えて欲しいと 思っております。それは、記録がどのように編纂され、保存され、どのようにして歴史書が作成されているのかということです。 現在の日本社会では、記録を残すという作業が非常に軽視されてきています。記録そのものは、民族や国家の誇りの原点なのです。 文字がなかった頃、語りべがいて、あらゆることを語り継いできた。時に勇者を称える話であったり、戦の話であったり―。 語りべは、その部族の記録仲介者であって、その部族の歴史を残すにあたり、非常に重要な役割を成していた。
 ところで、現代に戻って顧みてみると、我らが日本には記録を残すという習慣さえなくなりつつある。 第2次世界大戦まではどんなことも記録に残していたはずなのですが・・・。 国立公文書館(文字通り国の重要文書を保管している所)も、他国と比べたら、比較の対象にならないほど規模が小さい。 諸外国から日本を訪れた外国人の様子からもそれは一目瞭然だそうです。「こんなに小さくて大丈夫なの?!」といった感じで・・・。 私は国家の仕事を、国民保護・領土保護・記録を残すということだと考えます。記録を残すことは何の問題もありません。 むしろ記録を残すということは、誇りを持っているということにもなります。 ですから、これから皆さんには記録を残すことについての理解と知識を深め、ぜひ記録を残す仕事をして欲しいものですね。

なるほど・・・納得させられるばかりです。そういえば私たちの授業でも何度も同じ事をおっしゃっていましたね。 誇りがあるからこそ記録を残すのですよね。

ではここで、田中先生が興味を持っていらっしゃることについて質問したいと思います。

Q,先生が現在最も興味を持っていらっしゃる研究はどのようなことですか?

A,私は現在7冊の本を書こうとしています。現在進行中のものから、将来的に書かなければならないものまで多様ですが。
 その中でも最も私自身が書きたいと思っているのが太平洋戦争における天王山の戦いであるニューギニアの戦いについてです。 これについても、現在その詳しい資料がないのです。ですから私がそれを作り上げることで歴史に残せるという訳です。 太平洋戦争史とは、これまで開戦までのことは詳しく書かれていますが実際の戦いの詳細については書かれていない。 私が生きているうちにどこまで仕事が出来るかということですね。(笑)そのためにはやはりニューギニアに行きたいですね。 でも、今は図書館長という仕事柄なかなか好きなようには海外に行けませんが。現地に行って、自分自身で山脈を縦断したいです。 激戦が繰り広げられたその山中にはぜひ行きたい。飛行機やトラック、船などあらゆるものを利用して・・・そこでイメージを 広げたいのです。

さすが田中先生、大きくそして使命的な夢をお持ちですね。ですからぜひ長生きなさって、多くの書物を書き上げてください。 私達防大生の誇りでもあります。人間文化学科の学生にしたら、学科の教授が出した本というなんとも名誉なことです。 (私達の名誉などはどうでもいいのですが・・・。)

それでは最後の質問とさせていただきます。

Q,田中先生が我々人間文化学科の学生に望むことはどんなことですか?

A,ズバリ、かっての軍人文化・軍事文化を理解して欲しいですね。これは決して、単なる軍国主義の思想を持ちなさいというのではありません。 一つの文化として理解することは重要だということです。皆さんご存知かもしれませんが、 かつて軍人とは実に教養的文化を持っていたのです。だから庶民がかなうような相手ではなかった。 掛け軸をすらすらと書けたのも軍人でしたし、野球を例にとってみても、日本に野球を伝える時、その英語を訳したのは軍人でした。 ですから、現在も守備や攻撃など軍事的な言葉が残り、使われているのです。 語学力など、教養面では本当に軍人がトップレベルだったのです。 ですからお金のない為に勉強の出来ない家庭の子は、軍隊に入れば何でも出来るということで軍人を志したそうです。 日本はその軍人文化に染められていった為に近代化を図ることが出来たとも言えます。 が、しかし、決してそれらが全て良い影響を与えたと言う訳ではありませんがね・・・。
 自衛官であっても、社会に何らかのものを発信し、創造出来るようなことをしなければならないと言うことです。 文化面に目を向ける視野の広さを持って欲しいのです。そして、国民が「これは素晴らしい」と言うようなものを作って欲しいのです。 人間文化学科の学生には国民が取っ付きにくいこの分野でこそ仲介役を担って欲しい訳です。 そのためにはただの一度も努力を欠いてはなりません。一回とは言え、それだけで既に並みの人間になってしまいますから。 最後になりますが、皆さんには防大で学んだことを上手く、そして質のいいものを文化面へ浸透させることに目を転じて欲しい、 それが結論ですかね。

田中先生大変お忙しいなか、お時間を割いてくださり、ありがとうございました。 このインタビューでは本当にいいお話をお聞きすることが出来ました。ありがとうございました。

報告者:三上、岩田


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