アンドレイ・ベケシュ博士

(スロヴェニア共和国リュブリャーナ大学教授)
 

『言葉から見た民族と国家の形成と崩壊 旧ユーゴ諸国を中心に』

平成16年1月26日〜2月2日


 

ベケシュ氏

 

 一月の二十六日から二月の二日の間、人間文化学科の特別集中講義の第三回目として、スロヴェニア共和国のリュブリャーナ大学の文学部の教授で、日本滞在の経験のあるベケシュ教授が、客員講師として招かれ、講義をされました。

 講義の冒頭ではスロヴェニア共和国のことを英語で説明され、多くの学生を苺畑(夢の世界、睡眠)に誘ってくれました。それはさておき、今回の講義内容は、
  『言葉から見た民族と国家の形成と崩壊 旧ユーゴ諸国を中心に』
というものでした。講義の前半では、国民国家と言語関係のモデルについて、後半で旧ユーゴ地域・統合への動きについて講義していただきました。ベケシュ講師は、説明しているうちに、話が別の方向に流れていくことが、多々ありました。それはそれでとても楽しいことなのですが、そこに時間を割くあまりに、講義が予定時間を越えそうになり、ベケシュ講師が田中先生の顔色を伺いながら、講義をしていたことは、ほほえましい風景でした。また学生のちょっとした疑問、質問にも、ベケシュ講師は、快く親切に説明をしてくれました。たとえば、こんな一場面のやり取りです。

 旧ユーゴ諸国の各地方を、ベケシュ講師がわれわれにイメージしやすいように日本の地方に喩えてくれました。スロヴェニアは長野のように「山ほど山がある」様な国であるなどです。そうしたら、さっきまで冬の熊かというほど、よく眠っていた者たち(全員ではないですが)が、ひょっこり巣穴から、春の陽気に誘われて、頭をもたげるように起きだし、マケドニアは、クロアチアはなどと質問します。
  「そうですね、マケドニアは東北みたいで、クロアチアは関西みたいですね。」
というふうに答えてくれました。そこでわっとみんなが、笑い出す。その後また多くの熊は巣穴に帰っていくのですが、このような雰囲気の中で講義は進められていきました。

 そろそろ本題に入って、講義の前半に扱った「国民国家と言語関係のモデル」について少し説明しようと思います。ベケシュ講師は、大まかに分類した二つのモデルを挙げられました。それは、欧州的モデルと旧帝国モデルです。
 欧州モデルは、西欧と中欧の二つのタイプに分類されます。ここで言う西欧は、フランス、イギリス、ポルトガル、スペインに絞られ他国々のことを指します。これらの国々の共通点は、中央集権化が欧州においていち早く進み、政治統一が国家語の成立に先立つことです。そして、この4カ国は、国民国家意識を形成していく上での統制手段として言語利用するために、国家語が成立させた国々です。それに対し、中欧タイプは、はじめから地方ごとに言語と行政単位が存在していた国々で、民族的に同一だが、ひとつの国家としては成立していない国々です。これらの国々とは、イタリア、ドイツを指します。ここでは、国家語制定が政治的統一手段として用いられました。このタイプは、ナポレオン戦争により、民族意識の高揚が高まり、政治的統一へと流れていったものです。また言葉には民族の魂が宿るというドイツ・ロマン派的言語観から民族意識の統一が、国家語を求める動きとなっていきました。このようにして、相互の働きかけにより中欧タイプは、国家語を成立させました。

 欧州モデルは、結果として、排他的ナショナリズムを、国家、民族という水準で生み出すことになりました。
 旧帝国モデルとは、古代ペルシア、アレクサンドロス大王、ローマ帝国、モンゴル帝国、オスマン・トルコ帝国といった国々のとった言語政策への態度を表す言葉です。これらの旧帝国は、支配者への忠誠だけを要求するだけで、民族、言語、思想における多様性を容認していました。このことはのちに、トルコが民族主義を導入したとき、アルメニア人虐殺という悲劇を生んでしまいました。

 大学で日本を専門に研究しているベケシュ講師は、日本における国家語の成立に関しても、講義してくれました。大まかに言えば、上田万年氏がドイツに留学し、学んできたことを基本として、日本の言語政策は策定され、日本の国家語は成立しました。西欧的モデルを採用したため、欧州と同様の効果を受けると同時に、弊害も被りました。

 話を講義の後半に移していきたいと思います。後半は、先述しましたように、「旧ユーゴ地域・統合への動き」についてです。講義中では多くの地図などを使い、旧ユーゴ諸国の歴史と言語状況(方言分布の状況)、19世紀前半のイリリズム運動による言語統一政策やその後の動き、またユーゴスラヴィアの成立過程、社会主義化、そして崩壊についてまで詳細に説明してくれましたが、ここでは特に言語統一という観点に絞って話していこうと思います。
 旧ユーゴ諸国は、先ほどのモデルからすれば、当然、欧州モデルです。その中でも、中欧タイプに属します。この諸国の民族意識の高揚が、ナポレオン戦争によるフランスの影響に対して生じた点で、中欧タイプと共通しますが、政治的自立ができていなかった点で、イタリア、ドイツとは異なります。そして、彼らは、ゲルマン民族同様(そもそも民族とは同じ言語を解する集団だといっても過言ではないでしょう)に、言語が民族意識に大きく依存している民族でした。これに加えて、宗教、歴史的伝統なども民族意識の背景としても挙げられます。これら諸国も中欧タイプのように政治的統一手段として、言語統制を実施していきました。しかし、中欧に比べ、東欧は歴史の流れの中で複雑に分断させられます。遡れば、東西ローマ帝国の対立に巻き込まれることに始まり、その後の東ローマ帝国内でもカトリック系地域と正教系地域に分割され、それから時代は下り、ハプスブルク支配地域とオスマン・トルコ支配地域に分裂し、第一次世界大戦時には独立地域(セルビア・モンテネグロ)とオーストリア・ハンガリー帝国の被支配地域の対立があり、最近では、社会主義体制後の南北間での経済対立などがあり、旧ユーゴ諸国 地域はとても寸断されてしまいました。このような歴史的背景により、旧ユーゴ諸国の地域の言語は、廃屋のカーテンみたいにぼろぼろにされてしまいました。

 大雑把ではありますが、以上が特別集中講義の内容です。私がこの講義を、聴講中、常に疑問に思い、講義中にベケシュ講師にも質問し、それなりに回答も得られましたが、今なお、胸に抜けずに残る小さなとげについて少し話したいと思います。
 この小さなとげとは、すなわち、「国民国家成立に言語統制をする必要があったのか」ということです。講義中、このことが余りにも自明の理のように扱われ、無視されてき続けた感を私は拭えません。
 そもそも、国民国家とはいえ、中央から地方へトップダウン式に何事も降りてくることは、今も昔もそう変わりません。そして、中央から全国民、一人、一人に情報が開示されるといっても、ひとつの国家において中央(政治、経済面において)の言葉と地方の言葉には、それほど差異があるわけではないので、理解できるでしょうから、言語統制をする必要はないと考えます。しかし、近代国家に変化する過程で、どの国も言語統一を図ってきました。なぜ必要だったのか。この答えは、日本の言語政策の中心人物、保科孝一氏の思想にあるようにと思われます。
 「国語と民族と国家とはたがいたがいの成長を支えあい、栄養を補給しあう生命体である。したがって、国語の標準化の問題はただちに、国家体制の統一に結びつくことになるし、民族と国家の勢力の拡大はただちに、国語の拡張をおのずから引き起こすことになる。国語は国家に従い、また国家は国語に従う。国家体制を堅固にし、民族精神を昂揚差あせるのは、保科が繰り返し言う「国語の微妙なる力」によるのである。そして、この国語の力を存分に発揮させるためには、どうしても国家による一貫した国語政策が必要になってくる。」(イ・ヨンスク著 『「国語」という思想』より抜粋)
 つまり、社会というものは言語によって形作られ、言語も社会によって作られているということです。だから、言語を統一することが、須く社会の統一に繋がるということなのです。これは、言語というものを今、「話している言葉」として捉えていて、それは常に社会を差異化し、そして、言語は常に社会から更新されているというソシュール以来の言語学の思考です。保科孝一の先生である上田万年氏が、ドイツ留学し、学んできた言語学がまさにこれなのですから。

 と、まあ自分なりに本を読み解答を導き出しました。ベケシュ講師の講演を聞いて、私のように言語学に興味を持ち、調べ物をする学生もいれば、一方では、旧ユーゴ諸国の歴史や現在の問題に関心を持ち本を読んだりしている学生もいました。今後、再びこのよう機会があるかは、わかりませんが、常に窓口大きく、いろいろなことに興味を持ち続けて生きたいものです。(黒木)


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