51期.人間文化学科校外研修 16.6.2
〜横浜開港資料館 神奈川県立歴史博物館〜

51期.人間文化学科は、平成16年6月2
日(金)のオフを利用して校外研修を行った。
1・2限の授業が終わり
、他の学生が次の教場に向かっている頃、私物バッグを持った
横浜の歴史を真に学ぼうと志す若人32名、人文館裏に集合終わり。
横浜開港資料館

横浜開港資料館 旧英国総領事館を利用して設立され
た。中庭には1858年日米和親条約が結ばれた場所にあった楠がある。この楠はペリー上陸を描いた有名な絵(一番上の写真)の右側に描かれてい
る(右上の写真)。田中先生の友人の館員の方が自己紹介された後に、51期人間文化全員で楠の前で記念撮影。
その後、観覧室で当時の外国人に日本土産として人気のあった日本の名所の写真集(一般には公開されてない)を見た。当時の写真
は白黒であったが、日本の浮世絵師達が一枚一枚丁寧に色をいれカラー写真にしてあるものだった。色は浮世絵師達が想像でつける
ので原色と必ず同じであるとは限らない。中には日本人のセンスではありえない色の服もあった。写真の種類は富士山、京都、芸者
など当時の日本を代表するものが多かった。これらの写真は外国人がたくさんある写真の中から自分でまとめて欲しい写真を選び
、日本人がそれをまとめて写真集にしていたので、外国人が日本に抱いていたイメージが良く分かる。
当時の写真には現在存在していない建物が写っていることが多く、我々が見た写真集の中
には皇居の堀の写真と一緒に陸軍参謀本部が写っていた。また写真集の表と裏表紙は木製で日本の伝統文化を感じさせる漆塗りに、貝
殻で蛙の装飾が施されていたすばらしいものであった。まさに写真集全体が日本を表しているといえる。(左上が説明を受けているときの写真、
写真集は撮影禁止だったので写真が無いのが非常に残念)
日本人のペリー想像図
神奈川県立歴史博物館
神奈川県立歴史博物館 馬車道通りを行くと、丸いドームを冠した、
ひときわ重厚な建物が神奈川県立歴史博物館で、明治を代表する洋風建築のひとつ旧横浜正金銀行本店本館の建物である。昭和42年に都道
府県立の総合博物館として全国に先駆けてオープンし、平成7年には、小田原の「生命の星・地球博物館」と分離、再編整備し歴史博物館
として生れ変りました。常設展示では中世鎌倉、戦国後北条、開国と文明開化など、日本の歴史の主要な舞台となった神奈川の歴史を古代
から現代まで五つに分けて分かりやすく展示してある。このほか、特別展や収蔵資料(浮世絵等)によるコレクション展も年に数回開催し
ている。
横浜正金銀行は日本初の国際金融銀行で、現在の東京三菱銀行につながっている。建物内は明治に建てられた時の設備である金庫、窓枠や
窓の外部シャッター、階段などが残っている。関東大震災で銀行の周りで火災が発生した際、外部シャッターを閉めたものの、建物の屋上
より火が移り内部の多くが燃えてしまったらしい。
我々は職員の方から、特別展示のために集められた古い硬貨、お札(大部分は東京三菱銀行が寄贈)などを見せてもらった後、博物館を見学
した。この博物館の常設展示は、フロアごとに年代を区切って@古代の相模A鎌倉、B近世、C横浜開港と近代化、D現代の神奈川ととい
うように、5つの時代区分に分けてある。当時の人の生活様式が実物大で展示してあるものもあり見て学ぶことを重視して展示されていた
開港当時の横須賀
五つの展示コーナーのうち「横浜開港と近代化」について
横浜は、生糸・茶の輸出、綿織物の輸入が活発で、貿易港として中心的位置を占める一方で、鉄道、日刊新聞、ビール、アイスクリーム、ガス灯、水道など、日本で初めて西洋のものを多く取り入れた場所であり、情報基地としての性格も兼ね備えていた。
明治後期になると横浜港と東海道線という交通の便を生かし、神奈川から品川までの海岸線が埋め立てられ京浜工業地帯として発展していきました。立ち並ぶ工場は工業化の象徴でしたが、その反面では公害による自然破壊が問題となっていった。
特に問題もなく今回の研修はスムーズに進んだ。研修の後に思うことは私たち防大生は、各人の地元の歴史は良く知っている者は多いのに、第二の故郷になるであろう防大周辺の横須賀や横浜について何も知らないということだ。4年間も横須賀に住んでいるのだから、もっと横浜、横須賀知ることが必要であるし、
そうすることによりもっとこの地域が好きになることが出来るはずである。(菊池 元)
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