平成14年11月26日(金)人間文化2学年は田中先生も参加されている横須賀歴史編纂事業、 金沢文庫、大日本帝国憲法起草の地(伊藤博文の別荘)を見学しました。
まず始めに横須賀市役所内で行われている横須賀歴史編纂事業の現場を訪れました。ここで研究員の方か ら全体について説明を受けた後に、マイクロフィルムや戦時中の横須賀の地図などを見せていただきました。ちなみに、現在の防大のある場所は海軍雷撃学校でした。 ![]()
![]()
戦時中の横須賀は、現在の横須賀基地のあたりから観音崎付近までが軍事施設で、他にもいたるとこ ろに軍事施設が点在していました。少年工科学校がある武山駐屯地は陸軍の飛行場でした。
金沢文庫は、北条実時が建設した武家の文庫であり、日本の初期における私設図書館です。 建設時期は定かではありませんが、1275年(建治元年)ごろではないかと言われています。北条氏の滅亡後は菩提寺の称名寺が管理を引き継ぎました。当時の建築物は現存せず、発掘調査と当時の記録から その位置が推定されています。 ![]()
![]()
徳川家康が天下を取ると全国の文庫の収集事業に取り掛かり、 その事業の中で多くの金沢文庫の書物も持ち出されました。その後、金沢文庫内にあった書物は世界に 散らばり、現在でもそれらの書物の収集を金沢文庫の博物館の方が続けられています。金沢文庫の 書物には「金沢文庫」の印が押されているので、古本屋などで見つけた場合には博物館にご一報を (by金沢文庫館長)
1897年に伊藤博文らによって再建された金沢文庫は関東大震災で失 われ、1930年に神奈川県の運営する文化施設として復興し、1990年の改装を経て、鎌倉時代を 中心とした歴史博物館と、多くの国宝や重要文化財を含む金沢文庫の蔵書を分析・研究する施設 となっています。
![]()
次に見学したのは大日本帝国憲法起草の地である伊藤博文の別荘です。言ったら悪いかもし れませんが、憲法を起草した場所にしては・・・もっと別の場所なかったのでしょうか?
明治維新後の日本は不平等条約を改正し、欧米列強と対等の関係を築くために近代的憲法を必 要としていました。しかし、当時欧米諸国以外で立憲政治を実現した国はありませんでした。民間の憲法案も多数発表されましたが、憲法起草の中心になった伊藤博文に曰く、「実に英、米、仏の自 由過激論者の著述のみを金科玉条のごとく誤信し、ほとんど国家を傾けんとする勢い」ということでした。伊藤博文の懸念の根拠は、1870年代後半にトルコが立憲政治を始めたが、 わずか一年足らずで憲法停止・議会解散に追い込まれていたことにから来ていました。伊藤博文は日本の歴史と文化に根ざし た憲法を目指しました。憲法の起草は、伊藤博文別荘を本拠として、1887年(明治20年)6月4日頃から3ヶ月に渡って行われました。伊藤博文の別荘は手狭だったことから、 事務所として料理旅館の「東屋」を当初は用いていましたが、泥棒が入り草案の入った鞄が 盗難に遭ったことから、その後は伊藤博文の別荘で作業は進められました。また別荘には明治天皇や大正天皇も訪れています。(菊池)