灼熱の太陽が晴れわたり、いつも以上に第2種夏制服(写真の白い制服)も眩しく見えた初夏の昼。汗ばむ制服と、ギラギラとした陽気に若干気持ちが滅入りながらも、 私たちは学科研修として金沢文庫に赴いた。私たちが見学したのは、神奈川県立金沢文庫にて開催されている「大横須賀展」および野島公園・ 旧伊藤博文金沢別邸である。
まず我々は、「大横須賀展」の見学を行った。ここで興味深かったのは、江戸幕府がペリー艦隊に対し、実は用意周到に対処していた―― ということである。例えば、黒船に対し、幕府は高所に砲台を築き、常に大砲を突き付けながら外交交渉を行っていた、とは今まで私はまったく 知らなかったことである。日本史的な知識として私は、黒船の大砲の射程距離を生かされると一方的に叩かれる故に、日本はペリーの砲艦外交に 屈した、とずっと考えてきた。ペリーを迎えいれた地において、日本の大砲がずらりと口を黒船に並べて備えていたという事実は、今までの 固定観念にひびを入れるようで、非常に面白かった。
また、幕府には指揮系統に問題があったから、当時の最新兵器を生かせなかったという説明は、さもありなんと大いに肯けるものであった。 この指揮系統の確立とは、我々が将来幹部自衛官となる上で、必要なことであるだろう。指揮官がそれぞれバラバラの考えのまま、 バラバラで敵にぶつかっても各個撃破されるだけである。戦史を見るに、このような失敗は幕府軍だけでなく、大東亜戦争におけるインパール 作戦等にも見られるだろう。そういった失敗を糧として、我々後世の人間は成長していかなければならない。同じ失敗は 繰り返してはならないのだ。
その他にも、旅順要塞攻略戦に夏島要塞にあった対艦用榴弾砲が使われた、という話も非常に興味深いものであった。旅順要塞での戦闘は、 司馬遼太郎の『坂の上の雲』という小説が有名であるため、その影響が強く公平な視点を失いがちである。それだからこそ、 乃木大将率いる第三軍の考え、大本営の考え、陸軍と海軍の思惑の違い、ロシア側の対応――と考慮すべき様々な要因を精査しながら、史実に当たる姿勢というのは 大事ではなかろうか。今回受けたような説明を軸にしつつ、史実というものに向き合ってこそ、歴史に触れあう意義というものがあるだろう。 「大横須賀展」では、その他たくさんの興味深い展示が多々あり、それぞれが大いに示唆に富むものであった。
次に訪れたのは、野島公園と旧伊藤博文金沢別邸である。当初私は、その場所が大日本帝国憲法草案起草の舞台となった別邸であると思って いたのだが、それは夏島にあった別荘で、既に取り壊されていた。それはさておき、伊藤公の別邸は私が想像しているよりも随分と綺麗に 整備されていた。その印象は、どうも経年劣化してきた建物を、なるべく当時の面影を残しながらも、大改修を行ったため生まれたらしい。 縁側からは海が一望できた。庭園には牡丹が植えられていたが、開花の季節ではなかったためその花を見ることはできなかった。 日本を代表する政治家が、日々の激務の疲れを癒していた場所がこの別邸であると思うと、なるほどそれは納得できた。
これらの施設を見学して、私は様々な歴史――幕末から維新の動乱が吹き荒れる時代、大正デモクラシーと呼ばれる民権運動が盛んであった時代、 軍靴の跫がひしひしと聞こえ、他国と干戈を交える昭和――に触れることができた。それは、今までの自分の知識からは見えてこなかった、 新たな角度から眺める歴史であったし、今までの視点の裏付けとなる歴史でもあった。プロイセンの鉄血宰相・ビスマルク――ちなみに今回の見学に 関係する伊藤博文は、このビスマルクを手本とし、尊敬していた――の有名な言葉に「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」というものがある。 我々が歴史に触れ、歴史に学ぶ意義とは、単に受験やクイズで満足できるほどの雑学を蓄えるためではない。その歴史に関わった人間の考えに触れ、 息遣いを感じることで、その歴史から何らかの教訓を導き出すことである。今回の研修において、私たちは主に幕末から戦前にかけての歴史に 触れることができた。そこで感じ取ったもの、吸収したものを糧としてこれからも精進していきたい。