◆ 南 京 ◆
2007年12月27日はみぞれ混じりの寒い日であった。私たち一行8人は上海から新幹線に乗り、一路南京を目指した。 新幹線はまったく日本のものと変わらない。変わるのは窓から見える景色ばかりである。白い漆喰に塗られた壁に囲ま れた家々が、ぬかるんだ地面の奥に建ち並び、駅のホームの向かい側には、黒い煙を吐くディーゼル車がコンテナを 牽いていた。
南京駅のホームに降り立つと、冷気が8人を包み込んだ。次いで私たちは観光ガイドを売り込む女性たちに囲まれる ことになる。ものすごい熱気である。彼女たちは決して若くない。手に手に地図を持ち、ガイドをしようと迫ってくる。 何せ、駅の壁の大きな市街地図の真ん前付近に固まっているのだから避けようがない。上海では通じることがあった日本 語がここでは通じない。英語はもっと通じなくなっていた。声をかけたいような素振りを見せるだけで危険である。 私たちは、腹を空かせた鯉の群れが泳ぐ池の中に放り込まれた、一切れのパンのような状態になっていた。
ところが、私たちは南京博物館の正式名称「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館」を知らず、また壁の市街地図の範囲が広大すぎて、 地図に博物館らしきものが 見つからない。そこで勇気を出して、筆談でガイドの女性の一人に聞いた。その人はすぐさま了解し、中国語の正式名称 を書いてくれた。そしてさらに親切に地図を見せてくれた。私たちはカメラのシャッターを切るように地図を頭に飲み込 んで「謝謝!」と言って、その場を足早に去った。
向かうは北西である。商店街は雨でも活気を見せている。リヤカーの屋台には、毛を毟られて下茹でされたアヒルの ような鳥が、行儀良く目をつぶって並んで寝ていた。南京は現代的な経済都市上海とはまた違った、旧都市の趣ある 街並みであるが、活気があることには変わりない。大通りから横に入り組む路地をふと見ると、そこにもまた人々の 生活の息づきを感じることができる。あらゆる窓や煙突からは湯気が出ている。皆、何かをしている最中なのである。
丁度お昼時だったので、私たちは商店街のある一軒の水餃子のお店に入ることにした。現地の人たちで適度に混んでいた ので、きっと美味しかろうと推測したのである。店内はなかなか清潔だった。入り口のカウンターでメモに品名を書いて注文し、 三脚の丸椅子に座ると、ほどなく湯気をもうもうと立てた水餃子の大皿が運ばれてきた。これは中華料理の一般的な盛り付け の方法であるが、お皿から溢れそうに盛り付ける。料理の量に応じて皿の大小は変わる。しかし常にぎりぎりに盛ってある。 茹でたての白くつるつるした表面の水餃子は、一緒に供される碗に入った茹で汁につけて食べるとその舌触りの滑らかさを増す。 そのままでもおいしいが、お好みで黒酢ベースのたれをつける。上海に引き続き、黒酢はよく口にする調味料である。 15個で7元、すなわち105円ちょっとである。
腹ごしらえができたところで再び歩き出す。さっき見た地図の縮尺を知らないので、果たして如何程距離があるのか分からない。 大通りをバスが走る。上海と違い、タクシーはあまり見かけない。大通りを横断するには多少の慣れが必要だ。 信号はあるが、歩行者が赤になる瞬間に車が青になる。逆もまた然りである。そしてほとんど守られない。公共交通機関のバスも 赤信号に突っ込んでくるから安心できない。このような道路においては、走るのはむしろ危険である。人が走れば、バイクや 車も走ってくるのである。歩けばよい。人が歩けば、車両も速度を落とす。
歩けども歩けども博物館は遠い。途中、川を渡る。両岸は白塗りの壁が奥まで続き、河岸には薄緑色に煙る柳がさらさらと 流れている。風流である。その足元には濁った川の水で手を洗う男性がいる。壊しかけの集合住宅を右手に通り過ぎ、 その先には雨のせいか白いもやがたちこめていた。
一時間弱歩いただろうか。ほとんど郊外といえるようなひらけた空間に、突如目的の博物館が建っていた。 「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館」は、2007年12月13日に拡張再開館したばかりである。
まず私たちを迎えた のは巨大な半抽象的な人物の彫像である。それらは日本軍から逃げ惑っており、あるいは今まさに殺されるところを写しとられている。 整備された敷石の舗装歩道は上海の浦東地区のオフィス街よりもきれいであり、鋭利な輪郭線を切り取る黒い石造りの外形は、 機能性と斬新さの調和を試みた近代建築だ。近づくとおどろおどろしいBGMが聞こえてきた。彫像の後ろ辺りにあるスピーカーから 聞こえてくるようだ。彫像にはそれぞれ題が付けられている。そこですでに、この博物館はかなり日本人客を意識して作られていることに 気付いた。説明書きが第一に中国語なのは当然として、次に英語と日本語が続き、その次に韓国語である。ゲートの中には広大な 広場がひらけていた。博物館の建物そのものよりも、面積を占めていると思われる。“30万”の文字を彫った石のモニュメントが 佇立している。モニュメントの隣にある案内図を見る。広大さの割にトイレがかなり少ない。
建物の中に入るとチケット売り場があり、制服を着た若い女性が二人座っている。ここで荷物を預ける代わりに荷札兼チケット である番号札をもらう。セキュリティの為だろう。大人一人40元である。水餃子に比べるとかなり高い。100元札を出すと不機嫌に お札をひっくり返し、天井の照明にかざしてからおつりと番号札をカウンターに押し出した。ここに限らず100元札は服務員の人 たちを不機嫌にさせる。何故なら、偽造貨幣が多い紙幣だからだそうだ。
博物館の壁は黒を基調としており、窓を通した自然光の採光は無い。展示品の多くはガラスケースに収められている。展示品は 旧日本軍将校の文書、軍事色の強い子どものおもちゃ、朝日新聞の写し、犠牲者の遺品や虐殺現場の写真等である。資料の多くは 日本語で書かれている。ところが資料の解説の日本文はどこか拙いところがある。私たちは中国語は読めなくとも、日本語と英語 が読めるので、中国語だけ読める人よりも深い理解ができたと思う。資料にはその重要度に応じて星印がつけられていた。
館内は適度に混んでいた。南京駅からかなり距離があったので、皆どうやって来たのだろうかと疑問に思った。話す言葉から、 中国人が多いようだった。旅行者らしい西欧人も見かけた。子連れの家族よりも、大人同士の来場者が多かった。特に、中年の 男性が少なくなかった。
展示内容は全体的に鎮魂を促す雰囲気だった。順路の初めには、高く小さい鐘の響きとともに犠牲者の顔写真が浮かんでは消え、 犠牲者の名前が刻まれた壁にぐるりと囲まれた空間があった。また、終わりには「許せ、だが 忘れるな」と書かれた垂れ幕がかかっており、その先には黒いファイルに囲まれた天井の高い空間があった。ファイルは空だった。
順路を終え、建物の規模に不釣合な狭い出口から私たちは屋外に出た。雨に煙った空気が冷たかった。やはり狭い窓口に番号札 を出すと、ほどなく奥から荷物が取り出された。ここで働いている女性たちは忙しそうであった。
私たちは歩き疲れて南京駅に戻った。歩きつつ、私は前日に行った上海博物館を思い出していた。そこには圧倒されるような すばらしい中国の芸術作品・工芸品・歴史史料の数々がどこまでも展示されていた。 創造の遺産ではなく破壊の記憶の博物館を建てられる歴史は、やはりかなしいものを含んでいる。