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応用分析化学 国内学会等 海外学会等 NIST留学記 NDA留学記

【報告-第1回】 1999年8月4日掲載 

~ 軍隊も大卒だけでは時代遅れ? ~

防衛大学校は、三浦半島の東側の付け根、広大な東京湾を見下ろす
海抜80メートルの高台にあります。
観音崎の灯台と目と鼻の先といえばよくおわかりでしょうか。
東側には浦賀水道をはさんで房総の山並みが、
また、北側には東京湾をはさんで横浜 のランドマークタワーや
東京副都心の高層ビル群が遠望でき、校舎からの眺めは圧巻です。 

そもそもは、1952年に自衛隊の前身である保安隊の幹部を養成する目的で
保安大学校の名前で発足したそうです。
ここの主役は、「本科」と呼ばれるいわゆる学部の学生1600人(うち女性約120人)です。
校内にある寄宿舎(学生舎と呼ばれます)で寝起きし、4年間、
心身ともに厳しい教育を受け、幹部自衛官として巣立っていくのです。

私が通う安全保障研究科は、日本で唯一の安全保障を専攻する大学院です。
そこに、実際に安全保障に携わる人々が集うわけですから、
最高の環境にあることは間違いありません。



F104戦闘機。かつて航空自衛隊が使っていた

学校案内によれば、教育目的は 「防衛庁・自衛隊の任務遂行に必要な安全保障に関する 研究・分析能力と高度の実務的・応用的知識を習得させること」 とあります。 わかりやすくいえば、防衛問題や国際政治を、 さまざまな角度から勉強するのが仕事(いや、任務かな)です 。 自衛官、事務官、ジャーナリストが一緒に机を並べて学んでおり、 定員は20人。私たち3期生は18人です。 内訳は、自衛官14人、事務官3人、民間1人。 階級は2尉(かつての中尉)から3佐(かつての少佐)、 年齢は20代半ばから40代前半と幅が広く、所属や職種もまちまちです。 共通しているのは、みんなが防衛庁内の選抜試験に合格して入校しており、 素人同然の私と違って、どなたも軍事経験や軍事知識はもちろん、 国際感覚、語学にいたるまで、一定水準以上の秀逸ぞろいという点です。 ちなみに、1期生の場合、67人の応募があったといいますから、競争率は3倍の高率です。 ここで2年間、みっちりしごかれ、無事、文部省の学位授与機構の 論文審査にパスすれば、修士の学位がもらえることになります。 1期の先輩には、読売新聞や産経新聞の記者たちもいます。 入校して初めて知ったことですが、欧米の士官教育では、 こうした専門教育はごく当たり前で、国防政策の立案や 大部隊の指揮に携わる将官・佐官の多くが、今や修士・博士号をもっている時代です。 昇進のための大事な必須条件になりつつあります。 なかでも、ワシントンの国防総省や統合参謀本部で勤務する米軍の高級幹部は、 大半がこうした学位をもっているといわれます。 軍隊の世界は、「大卒」だけではもやは時代遅れ。 世知辛い世の中ですが、自衛隊も遅ればせながら、ということのようです。 - 敬礼の嵐に頭を低く - 花が咲き乱れ、小鳥がさえずる構内をのんびり歩いていると、 前から黒光りした小銃を抱える一群がこちらに向かって走ってきます。 やがて訓練中の学生であることに気づきましたが、ヘルメットにカーキ色の戦闘服に身を包んだ姿で、 重さ4キロの小銃をがちゃがちゃいわせながら走る訓練風景は、 学校というより駐屯地に近いものを感じます。 防大生の訓練は週に数時間(朝から晩まで「オイチニイ」をやっているわけではありません) だそうですが、こうした軍事訓練があるのがこの学校の大きな特徴です。 「課業行進」する本科生たち

授業は教官(教授も助教授も講師もみんな「きょうかん」と呼ばれます)への敬礼で始まります。 朝8時すぎと夕方5時すぎには、国旗の揚げ降ろしもあります。 「君が代」が流れると、学生たちは作業を中断して直立不動の姿勢をとらなければなりません。 本科学生だけですが、授業を受けに教室に出向くときも、 「課業行進」といって隊列を組んでの行進で歩きます。 「たいへんなところにきちゃった。」 これが私の感じた最初の印象でした。 しかし、人間は環境に適応できる動物。 いつしか、そんな光景にも慣れ、次々とおもしろいものを発見します。 一番安心したのは、彼らが特別な若者ではないということです。 ハードな訓練や早寝早起き(夏は6時15分起床、22時15分消灯) の厳格な日常生活のせいでしょう。 いるいる、教室で机に突っ伏して居眠りしている学生たちが。 もちろんどこの大学でも見られる光景ですが、ここでは「職業病」とも呼ばれています。 学生の半数は成人ですが、平日の構内での飲酒が禁じられているため、 売店には菓子やジュース類が数多く並んでいるのも、笑みを誘います。 書店に並ぶ雑誌や図書も、戦史や戦略ものを除けば、ふつうの若者の読書傾向とまったく変わりません。 ただ、閉口することも少しですがあります。 本科学生が、すれ違うたびに敬礼してくれるのです。 堂々とした上級生は別ですが、初々しい1年生などは一瞬立ち止まり、 右手を頭に当ててピシッと敬礼を決めてくれます。 こちらもついつい右手があがって……。 自衛官の同級生にどうすればいいのか尋ねてみると、 「会釈するのが礼儀」と言われ、その都度、返礼するようになりました。 でも、1年生の大群に遭遇すると、しばらく頭があげられなくなるほどで、 正直言って今もこの苦痛には慣れません。 - 孫子の兵法から金正日氏まで - 研究科での勉強は、ひとことで言えば修士論文をまとめるための 調査研究活動。科目のほとんどが10人前後のゼミ形式で、 授業の一番最初に膨大な読書文献リストが配られます。 分厚い研究書から学会論文集までさまざまですが、英語の文献が目立ちます。 授業では、学生が順番を決めてそれぞれ分担した部分を 翻訳、解釈、要約したうえレジュメにまとめて発表し、さらにいろんな角度から議論します。 立場の異なる学生と教官がそれぞれの考えをぶつけ合うわけです。 研究科の教官は約30人。 テレビや新聞に頻繁に登場される有名な教授陣がずらり。 太平洋戦争の日本軍の敗因を分析した『失敗の本質』の著者の方々もいます。 授業は、月曜から金曜まで朝8時半から夕方4時すぎまである科目群からの選択制です。 私が選んだのは、国際紛争論、政軍関係論、国際秩序論、国際協力論、 安全保障論(以上、理論研究)、アメリカ安全保障研究、 ヨーロッパ安全保障研究、ロシア安全保障研究、中東安全保障研究(以上、地域研究)の9科目です。 科目名から想像できるとおり、政治と軍事の境目の部分を集中して研究するわけです。 どの分野の研究も欧米諸国が先進国であるため、必読文献は大半が英文。 毎日、毎日、山のように英文を読ませられます。 「ああ、米国人だったらどんなに楽だろう」。 文献の山を前に、ついついそんな妄想を抱いてため息をつく日々です。 守備範囲も、古くはペロポネソス戦争の時代から、 パレスチナ和平やコソボ紛争、朝鮮半島問題まで幅広く、洋の東西も問わず、 中国・春秋時代の兵法家孫子から、パウエル元米統合参謀議長、 金正日国防委員長まで、「セキュリテイー」と名が付けば、どこにでも首を突っ込むというどん欲さです。 まだ始まったばかりで理解はまだ生半可ですが、国際関係や国際政治を軍事的側面から分析したり、 軍事組織をマネージメントの手法で実証研究したり、さまざまな理論を駆使してケーススタデイーをする といったような内容になりそうです。 誤解を招く表現かもしれませんが、ある教官いわく、目指すは「ブラッデイー(血なまぐさい)授業」。 人間がいかに闘う動物であるか、ということをいやというほど思い知らされます。 次回からは、私たちの身近な話題や身の回りの観察、 また、どんな人たちがどんなことをしているのか等々について、具体的にご紹介いたします。 どうぞ末永く、ご愛読くだされば幸いです。 それでは締めくくりに「問題」を1つ……。
Q and A
最近、国連問題やNATO(北大西洋条約機構)の 新戦略を報じる記事などでよく目にする言葉ですが、
「集団安全保障」と「集団防衛」とは、どう意味が違うでしょうか。
答えは次回です。 
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