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応用分析化学 国内学会等 海外学会等 NIST留学記 NDA留学記

【報告-第6回】 2000年1月5日掲載 

~ けわしき修士への道のり ~

- 明日は我が身の発表会 -
明けましておめでとうございます。
防衛大学校での生活は10カ月目に入り「留学記」もなんとか6回を迎えました。
引き続きご愛読いただければ幸いです。 

年が明けると、修士論文の本格作業の始まりです。
総合安全保障研究科(大学院)では、私たち3期生18人全員に、
自分のテーマと受け持ち教官の希望を提出するよう求められました。
私のテーマは在日米軍。
「米軍駐留のコスト(代償)とベネフィット(利得)」のような視点で論じてみたいと考えています。 




自衛隊幹部もモップを手に大掃除

防大は防衛庁の教育機関なので、論文審査は一般大学と違って文部省の学位授与機構にお願いします。 厳しさに定評があります。 日米同盟がテーマだった1期の知人の面接官は、東京大学のS、K、Tの3教授だったといいます。 名前を聞いただけで足が震えてしまいそうな、著名な政治学者の方々です。 審査に備え、防大では入念な準備作業が積み重ねられます。 発表会もその一環です。いわば入試本番前の校内模擬試験のようなものです。 発表の持ち時間は1人35分。 研究内容を数枚にまとめ、OHPを使って要領よく説明します。 すると、最前列に居並ぶ教授陣から次々と容赦のない講評が浴びせられます。 「論理の展開に無理がある」 「もっと独自性を」「結論に面白みが欠けている」……。 「わが子」への愛情あふれる教育指導のはずですが、 聞いていて気の毒になるものもあって、「来年は我が身」の3期生たちは神妙に聞き入りました。 - 「ガリ節」を味わう - 防大生活の楽しみの1つは、学会や研究会に足を運び、 各国の研究者や実践家のお話にじっくり耳を傾けられることです。 12月にあった国連大学と日本国際問題研究所共催のシンポジウム 「人間の安全保障を求めて」では、エジプト出身の前国連事務総長 ブトロス・ブトロス・ガリ氏の講演を聞くことができました。 ガリ・前国連事務総長

ガリ氏は在任中、報告書「平和への課題」で、国連による積極的な 平和維持活動(PKO)の推進を訴え、旧ユーゴやカンボジア、ソマリアなどで 数多くのPKOに取り組んだパワフルな事務総長でした。 講演では「平和、開発、民主主義」の3つの視点から、 予防外交や人道援助、PKOの必要性を論じられました。 国際連合論という防大の授業で、 ちょうど出版されたばかりのガリ氏の回想録「UNvanquished」を講読しています。 クリントン米政権からの露骨な圧力や、米国と国連の生々しい駆け引きなどの内幕が描かれ、 行間からは、国連を満身創痍で率いる事務総長の闘いぶりが伝わってきます。 新聞やテレビを通じて報じられたガリ像とは全く違う側面を知り、 改めて国際政治の奥深さを見せつけられました。 野武士のような風貌と枯れた肉声。講演でも、独特の「ガリ節」を味わい深く聞きました。 - 駈け抜けた師走 - 授業の「大型」発表とテストが2つずつ、沖縄でのフルマラソン出場、 山梨学院大での特別講座、忘年会……。忙しい師走でした。 防大での授業はすべてゼミ形式で、受講者はテーマを割り振られ、必ず発表当番が回ってきます。 「軍備管理・軍縮論」の発表は手こずりました。 私の担当は79年に調印された「第2次戦略兵器制限交渉(SALT2)」。準備はひと月がかりでした。 キッシンジャー氏ら交渉当事者の著書など10冊近い文献に目を通し、 米ソが繰り広げた駆け引きの背景やナゾをひもとく作業です。 詳細は割愛しますが、どういう苦労を味わったかは、 レジュメをご覧になればおわかりいただけるかもしれません。
レジュメのページはこちら
- ■米ソ第2次戦略兵器制限交渉(SALT2)交渉 -軍備管理・軍縮論991213  3期15番 谷田邦一  
- 《A》交渉を通じ米ソはどういう立場にあったか -
	【SALT2で認められた発射基数】(ICBM+SLBM)
		米国:1710基<ソ連:2424基(旧型潜水艦の更新含む)

	【SALT2の交渉開始時】(72年11月)
		米国:  保有数を米ソ同一水準にすることに固執 
			cf:SALT1批准時の議会付帯決議
			投射重量で劣勢(ミニットマンの脆弱化を危惧)
			弾頭数や命中精度、SLBMや重爆撃機では優位
		ソ連:  新型戦略兵器の抑制、
			米SSBNの前進基地配備の見送りを要求
			ICBMの投射重量で優位、SLBMと重爆撃機で劣勢

	【交渉の焦点】
		MIRV化ICBM+西欧の前方展開戦力(FBS)
		(量的制限:量的制限の拡大+質的制限)

	【ウラジオストク合意】(74年1月)
		戦略兵器の総数の平等化+MIRV化ミサイルの上限設定
		ICBM、SLBM、重爆撃機の総数の上限:2400
		MIRV化ICBM、SLBMの上限:1320
		(合意時:米国1100、ソ連0)

	SALT2の有効期限を85年に
		・問題点 
			a. 上限が高い(合意時の運搬手段:
				   	    米国2147、ソ連2435)
			b. 弾頭数や命中精度による威力に制限なし
			c. 重爆撃機などの定義があいまい
		・対立点:MIRV化ICBMの検証、
			灰色領域兵器の規制、SS19は重ミサイルか

	【カーター包括提案】(77年3月)……ウラジオストク合意が基本
		運搬手段総数を2400から1800~2000に引き下げ
		MIRV化ミサイルの上限1320から1100~1200に
		MIRV化ICBMの上限550、
		ソ連の重ICBM 300から150に(ソ連は一蹴)

	【最終合意】
		総数2400(ICBMとSLBMの発射基+重爆撃機・ASBM)
		:81年までに2250に引き下げ

		MIRV化ICBMの上限1320の内訳規制
		MIRV化ICBM、SLBM発射基、ASBMの上限:1320
		うちMIRV化ICBM、SLBM発射基の上限:1200
		うちMIRV化ICBM発射基の上限:820
		装着弾頭数も制限:SLBMは14、ICBMは10

		〈米〉: 81年末までの廃棄数は米国33、ソ連254で米側優位
 			弾頭数ではソのMIRV化が最大化されれば劣性
			(米2154、ソ6730)
 			バックファイアーは規制対象からはずれたが、
			 B52は規制対象に
	
		〈ソ〉: 新型の重ICBM(308基)がSALT1に引き続き保有可能に
 			MIRV化で一挙に弾頭数を増加させることが可能に
 			削減義務は新型への更新で切り抜け実質的な制約受けず 

- 《B》米ソの核戦略と交渉はどういう関係にあったか -
	SALTの目的:先制第1撃能力の保有を禁じ米ソの相互抑止の安定化を図る

	【相互確証破壊(MAD)】……敵の奇襲に対する核戦力の非脆弱化
		60年代: 急速な技術革新で先制攻撃の可能性が高まり、
			   MAD崩壊の恐れ
		米ソの核軍拡競争により戦略バランスが不安定化
		ソ連: 対米優位は技術的に非現実的
		米国: 対ソ優位の維持はベトナム戦争で制約

	【柔軟反応戦略】…… ニクソン・ドクトリン(70年2月):
				MADからの脱却
			目標の選別、カウンターフォース、
			ソ連の第1撃の態様に応じた柔軟性

	【SALT2】…… 防御を制限し米ソとも第2撃に対して脆弱し
			第1撃の動機を制限
			攻撃兵器の凍結:ラフ・パリティ(IISS評価)

- 《C》なぜ交渉は長期化したか -
	6年8カ月の長丁場

	[技術面]
	ア SALT1で獲得した量的優位にソ連が固執
	イ ソ連の戦略兵器が増強、技術進歩が核戦略に新たに影響
	ウ 灰色領域の兵器(バックファイアー、巡航ミサイル)の制限限で難航
	エ MIRVなど査察・検証が困難な戦略兵器の配備開始

 	[政治面]
	ア ウォーターゲート事件でニクソン大統領が忙殺
	イ カーター政権の人権外交やアフリカへのソ連の干渉などで左右
		eg. サハロフ博士に書簡、ブコフスキーと会見、
		     ソ連のエチオピア支援
	ウ 米国議会と行政府との意見対立、
	     ソ連のブレジネフ路線とタカ派路線の争い
		eg. ジャクソン上院議員
			「ヒトラーのドイツは絶対に軍事的均衡を
			 達成できないだろうと英国民を安心させた
			 1930年代の英国を彷彿とさせる。まさに宥和政策」

- 《D》なぜ内訳規制が設けられたのか -
・米ソが保有する戦略兵器の「非対称性」を是正するための妥協策
	米国:  ソ連のICBM戦力がMIRV化されれば米国のICBMが脆弱化
		ソ連のICBMの投射重量や数量を大幅制限する必要があった
	ソ連:  米国の長距離の巡航ミサイルが西欧に配備されれば脅威
		SLBMでは劣勢
		射程距離や爆撃機搭載個数を制限する必要があった
		長距離のGLCM、SLCMの配備禁止を議定書で規定

- 《E》交渉を他国はどう見たか -
・交渉時……	米国と西欧諸国との利害が対立
	      西欧側にはSALT交渉は
	      NATOの抑止戦略を無視しているという猜疑心
	      ソ連: バックファイアー・SS20vs米国:
		     巡航ミサイル(GLCM、SLCM)
・調印時……	評価の一方で米ソの利益が先行しすぎ、
	      米議会での批准の行方に不安

【非核保有国】
	・旧西ドイツ……歓迎の一方で不安
	  「東西接触の窓口の役割をはたした」
			(フランクフルター・アルゲマイネ)
	  シュミット首相はSALT2推進を繰り返し強調:
			「交渉失敗は世界の危機に直結する」
	  中断の中欧相互兵力削減交渉(MBFR)に拍車がかかると評価する論調も
	  中距離核SS20が交渉の対象とならず不安も残る
	・日本……歓迎の一方で物足りなさ
	  「核廃絶を訴える日本としては今回の規制は物足りない」(朝日新聞)
	  外務省: 「米ソの関係安定化に貢献。核廃絶への1つの区切り」

【核保有国】
	・フランス……米ソ中心の軍備管理に冷めた反応
	  「(MX開発決定に対し)制限の実効なき制限交渉」(ル・モンド):
	  ソ連と直接対峙する欧州としては、SALT2の合意内容や
	  米国の交渉姿勢では、ソ連の核戦力優勢を抑えきれず
	  ソ連の軍拡を誘発すると懸念
	  ガロワの比例的抑止論…… 周辺諸国は米ソに緊縛、
					仏独自の核抑止力が有効
	・中国……米ソへの猜疑心
	  「双方の核兵器は話し合うほどに増え制限するほどに発展する」
	  「自分に制限を課すというのは偽り。
			実際は相手に制限を課している」(新華社):
	  米ソの茶番を見抜き、「ソ連がまじめに軍縮するはずがなく、
					米国はたぶらかされている」と論評

- 《F》SALT2の意義はなにか -
	[意義]
	(1) SALT1で規制対象外だった戦略兵器も枠内に入れ、
	      保有数がわずかに削減
	      米国1710、ソ連2424から
				総数2400、81年までに2250
	      SALT2調印時:米国2283、ソ連2504>2250
	(2) MIRV化ミサイルを初めて規制
	(3) SALT1より精緻な検証や諸規定を設置
		eg. ICBM発射計画の事前通告、検証妨害の禁止
	(4) 新型ミサイルの開発を軽ICBM1種類に限定し、
	       初めてミサイル開発を規制
	[批判]
	(1) 米ソの当時の保有戦力を大幅に上回る上限、核軍備増強を容認
	(2)「脆弱性の窓」(現在の危機委員会):
				硬化目標破壊能力が劣勢
         ソ連のカウンターフォース攻撃に
	       米国は報復できない、との批判も

- 《G》その他の「なぜ」 -
	・ソ連が地上発射ICBMに固執したのはなぜか
	・SALT2が重爆撃機を制限しなかったのはなぜか
	・選択肢としてはABM全廃もあったはずなのに、なぜABM配備を認めたか
	・ABM条約の締結で、米ソは相手の迎撃網突破のための
	  MIRV技術開発は不要になったはずなのに、
	  米ソともMIRV化にこだわったのはなぜか
	・「脆弱の窓」論が指摘したように、
	  米国の対ソ核抑止は本当に破綻していたのか

- ▼参考資料 -
・近藤三千男『軍備と外交-戦略兵器制限交渉の歴史』(原書房、84年)
・S.タルボット『狂気のゲーム-SALT2の内幕』(朝日新聞社、80年)
・  〃   『米ソ核軍縮交渉』(サイマル出版会、88年)
・ブルース・ラセット『安全保障のジレンマ』(有斐閣選書、84年)
・江村儀郎『SALTの現段階』(教育社、79年)
・山田 浩『核抑止戦略の歴史と理論』(法律文化社、79年)
・小川伸一『核軍備管理・軍縮の行方』(芦書房、96年)
・キッシンジャー『外交(下)』(日本経済新聞社、96年)
・DAN COLDWELL『FROM SALT TO START』 
12月初めには、ご縁があって箱根大学駅伝で有名な山梨学院大で講演をさせてもらいました。 演題は「新聞記者の目からみた日本の安全保障」。 湾岸戦争後の海上自衛隊の掃海部隊派遣以来、大きく変わりつつある日本の安全保障の見方を説明しました。 とても印象的な大学でした。 甲府盆地のど真ん中に突然、美術館のようなキャンパスが開けます。 巨大なオブジェがあちこちに。 FMの放送局やマクドナルドまで学内にあります。 掲示板には、一線で活動中のビジネスマンや専門家など学外講師による授業がずらり。 実戦向きの勉強を意識していることがうかがわれます。 全国区レベルの個性的な私学経営を目指す、古屋忠彦学長の熱意が伝わってくるようでした。 きわめつきは、那覇マラソン出場でした。 少女暴行事件をきっかけに米軍基地撤去の嵐が吹き荒れた大田昌秀知事の時代、 沖縄には1年半勤務しました。以来の沖縄フリークです。 那覇マラソンは、ホノルル・マラソンと並んで規模の大きさで有名です。 今年は最高気温が26・6度にもなり、参加者の完走率が過去最低の52%にダウンしました。 私のタイムは足切りぎりぎりの5時間52分2秒。完走できただけで満足です。
Q and A
 前回の問題は、戦争法におけるスパイ活動についてでした。
 敵国でのスパイ(間諜)活動は一見、交戦国相互の信頼を前提とする戦争法で禁じられている行為
 のように思われますが、実は違法ではありません。
 日本も署名している陸戦規則29条によると、「交戦国の作戦地域内で敵国に通報する意図をもって
 隠密にまたは虚偽の口実の下で行動し情報を収集するもの」と規定されています。 

 ただし、敵国で捕まった場合には、一般の戦闘員のように捕虜として保護はされず、
 その国の法律に従って処罰されます。多くの国では死刑になってしまいます。 

次も戦争法の問題です。
海戦で軍艦が敵を欺くために、交戦相手国の国旗を掲げたり、中立国の国旗を掲げたりすることは、
戦争法で認められているでしょうか。 次回は「背信行為」と「奇計」と呼ばれる行為についてご説明します。 
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