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【報告-第8回】 2000年3月14日掲載 

~ 北は猛威か?朝鮮半島の現在 ~

- 映画「シュリ」から安保を学ぶ -
日本でも大ヒットの韓国映画「シュリ」(姜帝圭=カン・ジェギュ監督)が、
防衛大学校でしばしば話題になります。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の特殊工作員と韓国の情報員との悲恋をテーマにした
アクション映画ですが、韓国の人たちが北の同胞をどう見ているかも少しわかります。






韓国映画「シュリ」の一場面

今年は朝鮮戦争勃発からちょうど50年にあたります。 朝鮮半島問題は、1994年の危機以来、防衛庁・自衛隊にとっても最大の関心事です。 映画を見ると、北の特殊部隊の潜入方法や戦闘技量などが、どうしても気にかかるそうです。 政治犯とみられる人々を相手に、すさまじい実戦訓練を繰り返すシーンには、私も度肝を抜かれました。 南北を分断する板門店の軍事境界線を2度訪れたことがあります。 巨大な国旗が対峙(たいじ)する広い荒野、黒いサングラス姿でにらみ合う屈強な両国の兵士、 監視業務についている国連軍兵士たち……ここには、今も冷酷な現実が横たわっています。 さて、韓国では、この映画はどう見られたのでしょう。 西部本社(福岡)社会部と那覇支局で一緒に仕事をした同僚で、 現在、ソウル特派員の箱田哲也記者に尋ねてみました。 - ●箱田哲也記者インタビュー● - 昨年3月、久しぶりに出張でソウルを訪れると、街は「シュリ」の話題で持ちきりでした。 出張の目的が日米新ガイドライン関連の取材だったので、特に興味深く思い、 私も早速、満員の映画館に足を運びました。 韓国・板門店で北朝鮮国境を眺める日本の国会議員団(99年2月)

なぜシュリが爆発的にヒットしたのか。 「同じ民族でありながら、愛し合う男女が最後は銃を向け合わなくてはならなかった分断国家の悲劇」。 こんな答えを想像しながら、いろんな知り合いに感想を聞いてみましたが、予測は完全に空振りでした。 「今一番人気のハンソッキュ(韓国の情報員役)のカッコ良さ」 「史上最高の製作費が話題だから」「迫力あるアクション」 「『タイタニック』が持っていた最高集客数を何とか国内映画が抜いてほしいと思って何回も見た」 などの意見ばかりで、 「南北問題が舞台の映画だから」と答える若者は私の周囲には、いませんでした。 「自分たちの国は、まだこんな戦争とかテロの恐れがあるということを、映画を見て初めて気がつきましたよ」 と他人事のように言う若者もいました。 南北朝鮮はあと3年で朝鮮戦争の休戦から半世紀を迎えます。 この年月は、韓国の少なくとも若者たちを、戦争とかスパイとかいう言葉から かなり遠ざけてしまったのかもしれません。 映画の中では、北朝鮮の特殊工作員が、北朝鮮の悲惨な食糧不足を語る場面があります。 これまでの韓国の映画やドラマが「北=悪」として描いてきた中、 シュリは初めて北の論理を真正面から語らせ、人々の共感を得た、という指摘があります。 北を「脅威」よりも、むしろ同情の対象ととらえている韓国人が少なくないというわけです。 そんな韓国側の余裕の表れなのでしょうか。 シュリの後、何をやってもずっこける北のスパイを愛らしく描いた 「間諜リチョルジン」という映画も、韓国では大ヒットしました。 - またまた教授を逆採点 - 昨年10月から始まった後期授業もいよいよ終盤です。 総合安全保障研究科では、1年目に国際政治や安全保障などの基礎知識をみっちりインプットし、 2年目は、それらを駆使して論文を作成するアウトプット作業になります。 1年目をほぼ終了した実感は、「我ながらよく続いたな」という安堵です。 生涯で最も勉強した時期だった、とのちに自信をもって振り返れるときが来ればいいのですが……。 防大近くの三浦半島観音崎灯台

総括は次回に譲るとして、前期同様、お世話になった先生方への感謝の気持ちを込め、 主な履修科目の「逆採点」をしてみたいと思います。 《軍備管理・軍縮論》(佐瀬昌盛教授)…… 安全保障問題に関して、辛口の報道批判の旗手として知られる先生です。 恐るおそる受講しましたが、うわさに違わぬ厳しい授業でした。 「そこらの通説本では説明されていない『なぜ』を追求する授業」 を目指しておられ、STARTやCTBT、NPTなど戦後の軍備管理の背景をえぐるような厚みのある内容でした。 4半世紀にわたり教鞭をとってこられた佐瀬教授は、今期限りでご退官です。 《戦争法》(真山全教授)…… 自衛官の受講生にとっては切実なテーマで、最も活気のあった授業の1つでした。 私には基礎知識や現場体験が乏しく、ついていくのがやっとの苦しい授業でした。 真山氏は新進気鋭の国際法学者です。 国際会議の出張が多く、指導があまりに誠実であったため、 補講の総時間数が10数時間に及ぶボリュームでした。 《国際連合論》(田所昌幸教授)…… 宿題の購読量では右に出る科目がない授業でしたが、英語の本を読むおもしろさを教えてもらいました。 ガリ前国連事務総長の回想録と歴代米国連大使の紹介本の2冊を読み通し、 国連の「息づかい」がつかめました。 《戦争史》(戸部良一教授)…… 戸部教授のほかに戦史に詳しい4教授が同席し、一緒に議論するというトロイカ方式の授業でした。 古代ギリシアから現代戦にいたるまで、戦争のもつ残忍性が、 いかに戦争そのものを制約してきたかを学びました。 気の弱い私は人間の血なまぐささに辟易してしまい、絶句の連続でした。 - 我らの「最先任幹部」 - 自衛隊では、部隊などで最も階級が上の人を「最先任幹部」と呼びます。 私たち総合安全保障研究科3期生(18人)の最先任は、海上自衛隊の茂津目(もづめ)晴道2佐です。 護衛艦や潜水艦、掃海艇などに乗ってこられた海のプロですが、 「陸」での授業に傾ける彼のひたむきさには迫力が感じられます。 防衛大の卒業で、私と同年の40歳。 授業では、最も積極的なディベーターの1人でもあります。 豊富な経験を踏まえ「私はそうは思いませんね」などと割って入られると、とても太刀打ちできません。 その茂津目さんに、「現代の将校と学問」と題し、自衛官の目から見た防大教育の意義について、 ご寄稿をいただきました (最後の4行は何とか削っていただけないか、とお願いしたのですが、お許しが得られませんでした)。 (茂津目2佐の寄稿文は残念ながらありません。ダウンロードし損ねました。本当に残念。
Q and A
 1963年に東京地裁で出された「原爆判決」(原告の名前から「下田ケース」とも呼ばれます)
 をご存じでしょうか。
 国際法の視点から、同地裁は広島・長崎の原爆投下を「国際法違反である」と判断しました。

 国際司法裁判所(ICJ)が96年、核兵器の使用について出した勧告的意見はよく知られていますが、
 それより30年以上も前に日本ではこんな司法判断が下されていたのです。 

 これは広島・長崎の原爆被害者5人が国を相手に損害賠償を求めた裁判で、提訴後8年で1審判決が出ました。
 それによると、被害者は日本や米国に対し損害賠償を求めることはできないと訴えを棄却したものの、
 原爆投下の戦闘行為は当時の国際法規(国際慣習法と条約)に違反していると断じました。 

 その根拠として、裁判所は、
 非戦闘員を殺傷する兵器の使用を禁じたセント・ペテルスブルグ宣言(1868年)、
 不必要な苦痛を与える兵器の使用を禁じたハーグ陸戦規則(1899年)などを挙げており、
 無防守都市への原爆投下は無差別殺傷にあたるとしています。 
 
次回は、国会の憲法調査会で論議が始まった日本国憲法の制定過程についての問題です。
連合軍による占領下での日本国憲法の制定は、国際法違反にあたるかどうか。さて、難問です。
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