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応用分析化学 国内学会等 海外学会等 NIST留学記 NDA留学記

【報告-第15回】 2000年10月11日掲載 

~ スパイ狩り ~

- 釈然としない「事件」 -
国際政治は最近、「スパイ狩り」ばやりです。
米国では核弾頭のデータを中国に渡した疑いで台湾系の元核兵器研究所員が捕まり(=9月13日に釈放)、
欧州では、米国家安全保障局(NSA)など米英中心の情報機関による国際通信傍受システム
「エシュロン」に対する調査が話題になっています。
日本でも、冷戦思考をひきずったような摘発がありました。





海自三佐逮捕の翌日、情報提供を受けたとされる
ロシア大使館武官は帰国した=9月9日、成田空港で

平和条約締結交渉を終えたロシアのプーチン大統領が離日して数日後の9月のある朝。 朝刊を見て息をのみました。 1面トップに「海自幹部、機密漏えい容疑/警視庁が聴取」(9月8日付朝日新聞)の見出し。 逮捕前の記事なので、容疑者は匿名です。 知っている人かも、と思ってテレビをひねって飛び上がりました。 今春まで総合安全保障研究科に在籍していた、知り合いの自衛官だったからです。 「まさか。何かの間違いでは」。 彼が旧ソ連海軍を研究テーマにしていたのは知っていました。 しかし、11年前に米ソ対決の時代は終わり、 日ロは友好関係を深めようとしているさなかに、「スパイ事件」? その後、あふれるような報道を通して、事実関係が少しずつわかってきました。 ロシアの駐在武官との交際を深めたのには、研究を通じてロシアに興味があったことや、 学術論文の作成に欠かせない資料を入手したいという気持ちがあったようです。 日本で旧ソ連・ロシアに関する軍事資料を入手するのは、まだまだ困難です。 研究者として、より上質の情報や資料に接近するあまり、 国防秘を管理する立場でもある自分の立場を忘れていた、といえなくもありません。 逮捕された海自三佐が在籍した防衛研究所を調べる警察官

今回の事件は、いくつかの角度から見ることができそうです。 1つは、日ロ領土交渉の進展とからめて見る外交的な視点です。 日ロ首脳会談で平和条約の締結交渉が難航したことと、どういう関係があったのでしょうか。 交渉が進展していれば、政治的な判断が働いたかも知れません。摘発をきっかけに、 日本の対ロ感情が悪化したのは明らかです。 両国の外相がその後、良好な関係維持を確認し合ったのは、事件の衝撃を物語るものでした。 2つめは、自衛隊の秘密管理や防衛交流など防衛面からの見方です。 自衛隊が管理する秘密には2種類あって、米軍から供与された装備品に関するものを「防衛秘密」、 自衛隊のみの秘密を「庁秘」と呼びます。事件で問題になったのは後者です。 ロシア側に手渡された自衛隊資料は、3ランクある庁秘の3番目の「秘」。 事件の第1報(9月8日付朝刊)の見出しにある「機密」は自宅からは押収されましたが、 その後の捜査当局の調べについての報道をみると、 漏えいはしていないとみられます(10月11日現在)。 自衛隊の秘密については、不透明な指定基準や件数の膨大さが国会でも取り上げられ、議論のあるところです。 ただ、法律で厳密に管理されているものが、個人の判断でやすやすと人手に渡るようでは困ります。 また、ロシアとの防衛交流は、行政レベルでは92年から政策協議や情報交換会が、 部隊レベルでは96年の護衛艦のウラジオストック訪問以来、 艦艇の相互訪問や共同救難訓練などが行われています。 ただし、それらはごく最近の外面上の変化。 自衛隊の演習が、今もロシア軍を対抗部隊に見立てて実施されているのは、公然の秘密です。 3つめは、公安事件に対する見方です。 田岡俊次編集委員がコラム(9月16日付)で書いているように、 本名で会合場所を予約し、居酒屋などでおおっぴらに資料を交換していた 今回のようなケースを、「スパイ事件」と呼ぶのには、ためらいを感じます。 刑事事件と違って、公安事件は記者の取材先が限定され、警察から提供される捜査情報に頼りがちです。 87年に米軍横田基地であった資料横流し事件、東芝機械ココム違反事件など、 いくつかの旧ソ連がらみの事件を取材したことがありますが、 事件報道の基本に戻って慎重に扱わなければ、 いたずらに振り回されてとんでもない虚像を作りかねないというのが私の教訓です。 誇張され過ぎているな、と感じる部分が今回も少なくありません。 - 「ルサンチマン」に、ドキリ - 私たちの論文作業は、その後も続いています。 週の大半は、朝から夜までパソコンに向かう日々です。 短い日で8時間くらい、長い時だと食事を除いて12時間以上、机にすわりっぱなしになります。 創設50周年をめざし、防衛大学校内は建設ラッシュ

論文を書く作業は容易ではありません。 全体の筋立て、細部の言い回し、偏らない表現、文章の長短のバランス……。 頭の中は、寝ても覚めても論文、論文です。 クラスメートにも、同じ思いに耐えている人がたくさんいます。 論文が締切に間に合わない悪夢にうなされる人、食事が不定期になって体調が思わしくない人、 家の雑事を避けて学校に居座る人、さまざまです。 なかには、「歴史的な謎解きがおもしろい」と言って目を輝かせている人もいますが、ごく少数です。 私も、焦りに駆られて朝4時、5時に目が覚め、突然、机に向かうことが何度かありました。 五里霧中という言葉がぴったりします。 論文執筆の「現場」

担当教官の指導も、しだいに厳しくなってきました。 私のテーマは「米国の軍事戦略と米軍の日本駐留-国防総省から見た在日米軍基地の意義の変遷」。 沖縄の基地問題を社会面に書く時のような調子で一部をまとめ、教官に提出したときのこと。 「ルサンチマンが込められている」と、手厳しく指摘されたのにはドキリとしました。 辞書によると、「ルサンチマン」とは、仏語で「被支配者の支配者に対する恨み」の意。 学術論文は、どんな立場の人が読んでも公平に書かれていることが要求されます。 教官の指摘は、視点が偏っているということでした。 頭を冷やして、さっそく書き直し。1章分がA4判で20枚ほどありますから、手直しも大変です。 - 米国の大学院事情 - 朝日新聞の同僚のなかにも、大学院教育で安全保障を学んだ記者が何人かいます。 インターネットや情報公開法を駆使し、米国の安全保障政策に食い込んでいる外報部の関本誠記者は、 数年前まで、コロンビア大に留学していました。 日本と違ってかなり実践的なのが特徴で、とってもおもしろそうです。 体験記をいただきました。
関本誠記者の寄稿文
1995年夏から2年間、
米国のコロンビア大学国際公共学部大学院(SIPA)の
国際関係学修士(MIA)課程で、国際安全保障政策を学びました。
安全保障専攻者はSIPAの一学年400人のうち、20人程度の少数派。
日本人は陸上自衛官と私のわずか2人でした。
かつては一大派閥を形成していたようですが、冷戦終結でじり貧状態です。
現在は国際政治経済、環境政策、人権、メディア論を専攻する人が多いようです。

安全保障専攻者は国際政治、軍事戦略、紛争論、外交論などを中心に勉強します。
卒業には54単位(通常18科目)が必要です。
経済学や統計学に加え、履歴書の書き方などを学ぶ「就職講座」も必修なので
履修しなければなりません。修士論文は不要です。
カリキュラムの詳細は、
http://www.sipa.columbia.edu/index.htmlを見てください。

ほとんどの科目には毎週200~500ページの必読文献があります。
ふつう週4、5コマ履修しますので、
ほぼ毎日この分量の英文を読まなければなりません。
授業は必読文献を読んでいないと、ついていくのが大変です。
必読文献は図書館に置いてありますが、2時間以内に返却する必要があり、
ひたすらコピーをすることになります。
毎日長時間の「コピー地獄」が読む以上につらいのです。
余裕のない最初の学期は、教室、図書館、コピー店、自宅の
4カ所をぐるぐる回るだけの日々が続きます。

軍事戦略関係では、冷戦期のNATO軍戦略策定者、米陸軍士官学校教官、
ブルッキングス研究所研究員らが担当する科目もあります。
必読文献は米国防報告書、湾岸戦争報告書、海兵隊フィールドマニュアルなど、
学術論文以外の文献が目立ちます。
授業には現役軍人の学生もいますので、議論はかなり専門的になります。

例えば、米軍事戦略に関する授業は、数年前から見直しを含め議論されている
「二正面同時対応戦略」に関する内容でした。
試験は
「国防予算削減のなか(当時)、米国のとるべき軍事戦略と、
  それに応じた軍事力を示せ」
で、陸海空軍と海兵隊の規模を兵力、空母など艦船、戦闘機の数などを
具体的に示して議論するものでした。
軍事科学分析法の試験は「中国は台湾に侵攻可能か論ぜよ」で、
実際の軍事バランスをもとにシミュレーションするものでした。
国際政治の理論的な授業とは、ひと味違う内容で、
日本ではなかなか学べない大変興味深いものでした。

実地研修では、米海軍基地ノーフォークと
米海兵隊基地キャンプ・レジューンを訪問しました。
大西洋艦隊司令部では、
その日司令官らが受けたブリーフィングをしてくれました。
当日の軍事関係ニュース、イラクなどの中長期的な情勢分析、
米艦船の状況(日米共同訓練で日本海にいた、
インディペンデンス空母戦闘群の位置も大型スクリーン上の地図に示されました)
など20分程度でした。原子力潜水艦も見せてくれました。
海兵隊基地では、実際の訓練で使われている
コンピューターシミュレーション装置によって、M16ライフル、
M2機関銃の射撃や攻撃ヘリ「コブラ」の操縦を体験できました。

    ◇

SIPAも含めて、安全保障研究分野では、
やはりリアリズムが幅をきかせています。
平和研究が盛んな日本とは対照的です。
米国留学中にリアリズムを「服用」しすぎた日本の研究者、公務員の多くが、
力の政治に走りがちなのも、むべなるかなと感じました。

留学期間中は、沖縄少女暴行事件、普天間返還合意、日米安保共同宣言など
日米同盟をめぐって大きな動きがあった時期でした。
しかし、授業では、日米同盟に関する議論はあまり取り上げられませんでした。
日米同盟が言及されるとしても、
中国との関係において日米同盟がどういう役割を果たすかというものでした。
米国の対アジア戦略に関しては、中国を意識した議論が目立ち、
日本はあまり相手にされていないのではないかという印象も持ちました。
Q and A
 前回は、明治以来の日本の軍事同盟についての問題でした。

 日本は明治以来、日英同盟、日独伊三国同盟、日米同盟と3つの軍事同盟を結んできました。
 共通点は、いずれも同盟相手が政治的・軍事的に強大な力を持った覇権国であったということです。 

 同盟の論理には、バランシング(勢力均衡)とバンドワゴン(勝ち馬に乗る)の
 2つがあるとされていますが、日本の場合はすべて後者にあてはまります。 

 これらの国々と同盟を組むことによって、相手にグローバルな戦略的利益を与える代わりに、
 日本自身は地域的な現実的利益を受け取ってきた点が共通していると言えます。
 旧満州の利権しかり、極東の安全と繁栄しかりです。
 軍事的な結びつきだけでなく、条文を詳しく読めば、ともに経済的な利益を重視していたこともわかります。 

 大きな相違点は、日米同盟だけは相手国が戦勝国であるということ、
 相手国の軍隊を国内に駐留させて基地を提供する見返りに強大な軍事力の提供を受けている点です。 

 日英同盟と日独伊三国同盟が、対等な形で共同防衛の義務を盛り込んでいるのに対し、
 日米同盟は制約を設けて日本側の共通軍事行動を制限している点も違います。
 いわゆる集団的自衛権の行使の禁止です。 

 西原正・土山実男共編『日米同盟Q&A100』(亜紀書房)を参考にしました。

ロシア駐在武官の情報活動を話題にしましたが、
次回は、各国が在外公館に置いている駐在武官についての問題です。
自衛隊から派遣されている防衛駐在官と各国の駐在武官とは、身分や権限にどういう相違点があるでしょうか。
「国際規格」とかなり違っています。
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