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応用分析化学 国内学会等 海外学会等 NIST留学記 NDA留学記
   

  第10回
2000年5月7日掲載 

「淡い不安」も今は昔



- 本格始動、修論作成 -
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  新学期が本格的にスタートしました。
  新入生からの嵐のような敬礼、
  教職員による授業や学校生活のガイダンス、
  慣れない環境への戸惑いと期待……。 
  ちょうど1年前、自分が防衛大学校の
  門をくぐったばかりの淡い不安感が、
  なつかしく思い出されます。
  部外にも門戸を開いている
  総合安全保障研究科(4期生)には、
  今年、新たに海上保安庁と
  韓国陸軍からの学生が加わり、
  顔ぶれの多様さが増しました。
  米国研修で訪れた
  ワシントンの硫黄島記念碑(先月号参照)
私たち3期生は、今年が論文作成の正念場です。
17年間、文章を書くことを職業にしてきたはずですが、
取り組むほどに、学術論文をまとめる作業は大変そうに思えてきます。 

論文作成は、だいたい次のように進みます。
まず、テーマを決め、資料収集に取りかかる(予備作業)。
続いて、文献を読みあさりながら、
論点や筋立てなど全体構想を固める(リサーチ)。
最後に、自分で決めた「テーマとねらい」に沿って
執筆を進める(執筆・仕上げ)。
今はさしずめ、予備作業からリサーチの段階といったところです。 

先輩方に勧められた花井等・筑波大教授の
『論文の書き方マニュアル』(有斐閣アルマ)には、
こうした流れがステップ式に記されています。
時間の配分は、予備作業1、リサーチ2、執筆・仕上げ2
が目安だそうです。 
個々人の作業と並行し、学校では、   
論文作成を意識した
「プロジェクト科目」があります。 
テーマごとにグループ化され、
教授陣と学生たちとが、
週1回、議論する場です。
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西原正学校長(中央)を囲むゼミ仲間    
私のグループは「米国研究」が中心テーマで、
学生5人に対して担当教官4人というぜいたくなトロイカ式。
ひとまず、各人が自分の研究テーマに沿って、
先行研究を批判的に紹介する
「レビュー・エッセイ」をまとめる課題が出されたところです。 

慣れない作業では、指導教官への相談は欠かせません。
私の指導教官だった西原正教授が学校長にご栄転されていたのですが、
幸い、4月に入ってご後任を決めていただきました。
国際政治経済学や国際連合論がご専門の田所昌幸教授。
40代前半のバリバリの気鋭で、頼もしい限りです。
さっそく構想の練り直しに取りかかっています。 


- 安全保障研究・最前線 -
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米国研修で訪れたアナポリス  
海軍兵学校のキャンパス
私の修論テーマは
「日米同盟のコスト・
ベネフィット論」です。
在日米軍の駐留に伴う
物的・精神的なコスト分析を中心に、
両者の釣り合いが戦後、
どう変化してきたかを
論じようと考えています。 
防大総合安全保障研究科は、全国唯一の安全保障研究が売り物です。
1期生のみなさんの論文はどんなものなのか、
一部をご紹介したいと思います。 

「ベトナム戦争における米国と参戦同盟国」 
「ケ小平の権力掌握過程」
「中国人民解放軍の軍事ドクトリンと東アジアの安全保障」
「パーマストン外交と英国海軍」
「スエズ戦争における軍事同盟の主導性」
「日本の『核の傘依存政策』−議論の変遷と特徴」
「防衛分担をめぐる米国の対日要求」
「日米(旧)安全保障条約の形成過程」
「防衛費1%枠をめぐる国会論議」
「モザンビークPKO参加自衛官の任務意識と態度」

タイトルを見ただけでも、さすが「最前線」といった感じです。
ただ、わが身がこうした戦列に加われるかどうかを考えると、
まだまだ自信がありません。 


- 変わりゆく同級生の生態 -

研究の進め方が変わると、
学生の学校での過ごし方も少しずつ変化します。 

遠距離通学のある自衛官は、
数台のパソコンが置かれた共同作業室に泊まり込み、
早くも論文の執筆に着手。
着替えや食事を温めるレンジまで持ち込んで、
さながら下宿部屋のようです。
通学時間を短縮するために車の免許を取った人がいます。
ラッシュを避け早朝に登校して、終日机にかじりついた後、
混雑がおさまる夜遅くに帰っていく人もいます。 

外国の文献を入手するため、
インターネットのアマゾン・コムなどを使って洋書を
次々と取り寄せ読みふける学生、別の大学や研究施設を
頻繁に訪ねて資料や手がかりを探す学生も増えました。
夏にかけては、外交文書や文献を探しに
欧米に足を延ばす計画を立てている人たちが少なくありません。 

私自身も、ひとまず雰囲気づくりからと、
自習室の机の周囲にカーペットを敷き、
いつでも横になってリラックスできる環境を作ってみました。 

学校に顔を出したときの話題は、
修論作成に関する情報交換が中心です。
3期生の頭のなかは、すでに修論一色の様相です。


- 再び沖縄・・・忘れえぬ人 -
取材でお目にかかって、
忘れられない方々が何人かいます。
那覇市首里にお住まいの
桑江良逢(くわえ・りょうほう)さん(78)
はその1人です。
返還後の沖縄に、陸上自衛隊が
部隊をつくったときの初代部隊長。
以前、ご自宅にあがりこんで
当時のお話を
じっくり聞かせていただきました。 
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元陸上自衛隊第1混成団長の
桑江良逢さんと
桑江さんは、防衛大で6年にわたり大隊指導教官や訓練課長として
後輩の指導にあたってきた経験もお持ちです。
そうしたご縁で、桑江さんを招いた講演会が
先日、防衛大であり、数年ぶりに再会しました。 

沖縄出身。
顔に刻まれたシワの深さと眼光の鋭さは、変わりません。
陸軍士官学校を出て数々の戦地におもむき、
ミクロネシア諸島(メレヨン島)で多くの部下を餓死で失い、
そこで終戦を迎えました。
引き上げ後、沖縄に残した母と弟が沖縄戦で犠牲になったことを知ります。
人づてに、機銃掃射にあったと聞かされた本島南部のサトウキビ畑を訪れ、
そこで撃ち抜かれた肉親の名前が刻まれた弁当箱を見つけたそうです。
その真ちゅう製の弁当箱を、手にとって見せていただきました。 

自衛隊移駐に対する沖縄の拒絶反応は、想像以上だったそうです。
住民を虐待し、悲惨な戦禍に巻き込んだ
旧軍の姿とだぶって見られたためです。 

「わかっていらしたのに、なぜ、沖縄出身の桑江さんが? 」 
「沖縄出身の自分でなければできない仕事だったからですよ」 

それ以上、尋ねる必要はありませんでした。
現在、沖縄には約6000人の自衛隊員が住んでいます。
 Q&A

 日米双方が前提としている「同盟の論理」に関する問いでした。 
 米国側からみると、冷戦時代に突入し、
 日米同盟によってグローバルな「勢力均衡」を形成する
 目的があったといっていいでしょう。
 圧倒的な強国をつくり出さないとする、
 近代の欧州の秩序維持の原理となった考え方です。
 第一次大戦後、勢力均衡政策に別れを告げたはずの米国は、
 第二次大戦で中ソと同盟関係を結び、
 さらに戦後には共産化した中ソを相手に新たな同盟を組み直します。
 日米同盟はその一部です。 

 一方、日本側の論理はどうでしょう。
 戦後、完全に武装解除され、自国の安全を
 自力では守れない状態になったため、
 安全確保のために同盟を組んで
 米国の軍事力に依存するようになりました。
 国際関係学でいうもう1つの同盟理論である、
 「バンドワゴン(勝ち馬に乗る)」です。 

 従って、両国の同盟の論理には、当初から大きな認識の違いありました。
 時代を追って、そうした差異が数々の摩擦を生む原因となってきました。
 詳しくお知りになりたい方は、西原正・土山実男共編
 『日米同盟Q&A100』(亜紀書房)をご参考ください。 

 次回は、1960年に改定された
 旧安保条約と現在の日米安保条約の根本的な違いについてです。
 要点をしぼって簡潔に述べよ、という問題が出されたら、
 どうお答えになりますか。