I
N
D
E
X
S
T
U
D
Y
P
H
O
T
O
O
T
H
E
R
 
応用分析化学 国内学会等 海外学会等 NIST留学記 NDA留学記

【報告-第11回】 2000年6月9日掲載 

~ 鉄壁のトロイカ指導 ~

- 情けも容赦もありません -
修士論文の作成は、私たち総合安全保障研究科の学生にとって最後の仕上げです。
研究対象について、教官の前で段階的に発表する作業が始まりました。
12月の中間報告、来年2月の最終提出へと続きます。




小銃を抱えて構内を走る学生たちには、
いまだにギョッとします。

このため、毎週水曜日に「プロジェクト」という科目が設けられています。 同級生18人が、テーマ別に4グループ (「地域と安全保障」「安全保障協力の過去と現在」「アメリカの政戦略」「情報と意思決定」)にわかれ、 学生とほぼ同数の指導教官が加わって、「トロイカ指導」が進んでいます。 授業内容は、いまのところ、論文概要の発表や 先行研究のレビュー・エッセーの作成、小論の文章指導などが中心です。 5月中旬の授業初日。あるグループをのぞいてみました。 ゼミ室では、教官と学生あわせて10数人が、この日の発表者2人を取り囲むように座っています。 1人は朝鮮戦争の作戦情報をめぐる歴史的検証、 もう1人はベトナム戦争を押し進めた米国の政策分析がテーマです。 A4判の用紙5枚程度に、論文の目的や先行研究との比較、 独自性の説明などをまとめ、まず30分程度で説明。 続いて、出席者から疑問や批判を出してもらうという形で進められました。 社会科学の論文は、約束事が多いのが特徴です。 手ぐすね引いている教官からは、情け容赦のない質問が飛び交いました。 入校直後はぎこちなかった新入生の行進も、 板につきつつあります。

「入手した資料で、あなたの仮説が実証できるのですか」 「根本的な事実を見逃していませんか」……。 先生方の『愛情』の裏返しとも思える集中砲火に、私なら「うーん」とうなって黙り込んでしまいそうです。 しかし、この2人は、読みこなした文献史料や理論を引用しながらし、てきぱきと的確に説明。 先生方の好評は「よくできています。この調子で」。 終了時には、拍手さえわきました。 私たちはこうした作業を繰り返しながら、論文を完成させていきます。 私の発表は6月中旬。 日米安保に関する文献を4つほど挙げて、自分の考えとの違いをはっきりさせながら、 批判的に比較分析するレビュー・エッセーを試みます。 さて、無事乗り切れますか。 - 資料を求めて、にしひがし - 論文作成が始まって、学生生活も様変わりしています。 文献などの資料収集は、とても学内では用が足りません。 所蔵30万冊余を誇る防大図書館をしり目に、首都圏のさまざまな施設に足を延ばすようになりました。 私の場合、授業のないときは しばしば防衛研究所図書館(渋谷区恵比寿)や、 東京大学教養部(目黒区駒場)のアメリカ太平洋地域研究センター、 アメリカン・センター(港区芝公園)のレファレンス資料室などで作業するようになりました。 米国立公文書館で入手した元「機密」文書の数々

こうした作業で何よりも大切なのは、ほしい資料がどこにあるかを効率的に知るための手がかりです。 やはり、教官に教わったり、共通のテーマを持った仲間同士の情報交換が一番役に立ちます。 手っ取り早いところでは、専門書店や各種図書館の利用方法や概要をていねいに説明している 『東京ブックマップ-東京23区書店・図書館徹底ガイド』(書籍情報社)なども便利です。 もちろんインターネットの活用は欠かせません。 NACSISのWebcat(http://webcat.nacsis.ac.jp/)をはじめ、 いろんな大学が提供している検索サービスの活用も必要でしょう。 しかし、実際の論文を書くためには1次資料が不可欠です。 日米の安全保障問題に関しては、どうしても米国政府の公文書や歴史資料がほしくなります。 総合安全保障研究科の先輩方の多くは、ワシントンDCやメリーランド州カレッジ・パーク (アーカイブスⅡ)などにある国立公文書館に足を運び、保管資料を収集して役立ててきました。 公文書館には、1次資料と呼ばれる政府刊行物や公文書、地図、映像、写真など 米連邦政府の膨大な記録が保管されています。 日本の専門家の多くも、ここで資料を発掘して すばらしい成果を発表しています。 例えば、琉球大学の我部政明教授の『日米関係のなかの沖縄』(三一書房)では、 「森」のような資料の山のなかで進める作業の大変さが紹介されています。 私たち3期生のなかにも、すでに何人かが、この夏、ここを利用する計画を立てています。 昨年末、下見に行かれた同級生の林満称子さん(2等陸尉)に、雰囲気をお聞きしました。
林さんのアーカイブ訪問記
●森の中にアーカイブあらわる●

昨年末にアーカイブを訪れたのは、
観光をかねた下見といった感じです。
1日目はワシントンDCにあるアーカイブⅠにいってしまい、
何もできませんでした。
しかしそこのコンサルタントの方はとても親切で、
アーカイブⅡの位置をていねいに教えてくれました。

気を取り直して翌日、
アーカイブⅠの前から出発する専用バスに揺られて、
ワシントン郊外メリーランドにあるアーカイブⅡへ。
その建物は、森にかこまれた静かな場所に突如として現れました。

外観は真っ白で、ひっそりと、しかしながら、
とても堂々とした近代的な建物でした。
中に入って入館手続きをし、いざ、お目当てのフロアーへ。
今回は、私が読んでいたMarc Tranchenbergの著書 A Constracted Peace 
の中に出てくる1次資料のうち、とくに1940年代後半の
アメリカの脅威認識に関する資料を探しに行きました。

ペーパーの資料を扱う3階へ。
書類用の閲覧室は窓際が全面ガラス張りで、広々としています。
机が整然と並び、冬の木漏れ日をふんだんに採り込んだその部屋は
とても明るい。書類に囲まれた陰気くさいところだろう、
という私が抱いていたイメージとは全く異なった空間でした。  
 

●資料への長い道のり●

年末ということもあり、利用者の数は多くありませんでした。
10人といったところでしょうか。
学生、ジャーナリスト風の方々などさまざまでした。
日本から来ていると見られる方も数人いらっしゃいました。

書類は大きく「civil」または「military」に別れています。
受付に行き、自分が探している書類の種類を告げると、
「military」のコンサルタントのところへ案内されました。
このとき、ドアを通るためにパスカードをわたされます。
このドアは電子ロックがかかるかなり重いドアで、
否応なしに臨場感が高まります。
ドアを開けるとその向こうには無数の部屋が……。

そのうちのひとつが、「military」に関する
アーキビストたちがいるお部屋です。
受付で秘書の方に探している書類について告げると、
しばらくして私の探す情報に合ったアーキビストが出てきてくれます。

彼らはみなとても親切で、
私の下手な英語に最後までつき合って下さったうえ、
書類の作成まで手伝ってくれました。
その書類を持って閲覧室へ戻ります。
ドアの前で、入ったときと同じようにパスを使ってドアを開けます。
そのあたりのセキュリティ管理はさすがです。  
 

●ついに「top secret」入手●

閲覧室の受付で書類を提出し、
書類受け取りの時刻(決まっています)まで待ちます。
書類はすべて同じ大きさのボックスに入っていて、
中は書類ひとつひとつがファイルで整理されています。

請求した書類は、もとは「top secret」でしたが、
「unclassified」になり、公開されたものでした。書類を開き、
「top secret」のスタンプが押されているのを見たときは、
秘密を見られることに妙に優越感を覚えました。
「おおっ」と思いましたね。

コピーにも工夫が施されています。
マスターとコピーを識別できるよう、
コピー用紙が不定形になっています。
それとコピーした紙には、はじっこに小さく
「archive national」の文字が印刷されます。
小さなことですが、文章を保存する工夫が、
こんなところにまで及んでるのだな、と感心しました。

今回とってきた資料はざっと300枚程度。
効率よく資料を集めるためには、あらかじめインターネットの
「National Archives and Records Administration」のページ
を使って予約をするとよいようです。
使い慣れているな、と思われる人はみなそうしていらっしゃいました。
- 先生は戦略ミサイルの元運用幹部 - 英語に慣れるため、最近、学内で有志数人と英会話を習い始めました。 先生は防衛大学校で語学を教えていらっしゃる元空軍中佐のマーク・ブライアントさん。 戦略ミサイルの部隊運用の幹部だったそうです。 数年前に退役され、米軍家族向けの学校教師をしている奥さんに伴って来日、 ここで教鞭をとるようになったそうです。 英会話は、日米のものの考えかたの違いを感じるいいチャンス

テキサス州の出身。ドイツや韓国での勤務経験もおありだそうです。 自ら「保守的」と名乗るほどの筋金入りの軍人で、 「peace through strength」(「精強さが支える平和」というような意味でしょうか) という言葉がお好きです。 議論が白熱するといつも、このフレーズが飛び出します。 授業では、米軍の準機関紙「Stars & Stripes Pacific (星条旗新聞)」 の記事を教材に、ディスカッションを通して語学力を磨いてもらっています。 これまでのテーマは、「casualty aversion(米軍の戦死者ゼロ政策)」や 「中台問題」、「米国のNMD(ミサイル防衛計画)」、 「女性への軍の職種開放」など。 ものの考え方が、私たち日本人とずいぶん違うので、彼との議論がとてもおもしろく感じられます。
Q and A
 今回の問題は、新旧の日米安保条約の違いについてでした。 
 1960年の条約改定の最大のポイントは、米国による日本防衛義務を明文化(5条)したことです。

 旧条約では、日本側には基地の提供が義務づけられたものの、
 条約には米国による日本防衛の義務が明文化されていませんでした。 

 日米の対等化を望む岸政権の改訂作業で、ようやく新安保条約で「日本国の施政の下にある区域」で
 日本を防衛すると規定され、形式上は相互的な関係になりました。 

 相違点としては、そのほか、国連憲章との関係の明確化(1、5条など)、
 両国の政治的・経済的協力を盛り込んだこと(2条)、事前協議制(6条に関連する交換公文)、
 内乱条項を撤廃したこと、などが挙げられます。 

 しかしながら、日本の基地を提供して国の安全を確保するという構造については、
 改訂後も旧条約と実質的に変わっていないとも言えます。
 大阪大学の坂元一哉教授は『日米同盟の絆-安保条約と相互性の模索』(有斐閣、2000年)で、
 こうした日米の非対称な協力を「人と物との協力」と呼んで詳しく論じています。 

次回は、この5月中旬、終文書に盛り込み合意した核不拡散条約(NPT)と、
昨年10月、米議会が批准を否決するなどした包括的核実験禁止条約(CTBT)との関係についての問題です。
双方はともに核開発に対する国際的な軍備管理条約ですが、どうして核開発を禁じたNPTがあるのに、
核実験を禁じるCTBTが必要なのでしょうか。ちょっと難問です。
ページのトップへ戻る