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応用分析化学 国内学会等 海外学会等 NIST留学記 NDA留学記
   

  第14回
2000年9月8日掲載 

バレンツ海で何が?



- 指揮官の苦悩・・交戦規則を考える -
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9月1日、防衛大学でも防災訓練
がありました
  米海兵隊の部隊指揮官を主人公にした
  映画「Rules of Engagement」
  (日本語タイトルは「英雄の条件」)
  を見ました。「論文漬け」の日々の
  ささやかな気分転換です。
  米国でヒット中も、武器の使用基準などを
  意味する「交戦規則」という原題が
  ずっと気になっていました。 
舞台は中東・イエメンの米国大使館。
サミュエル・ジャクソン扮する海兵大佐に、
反米デモに包囲された大使一家の救出命令が下ります。
作戦は成功しますが、大佐は一斉射撃を命令し、
部隊は群衆に向かって発砲。
女性や子供を含む83人の死者と100人以上の負傷者を出し、
米国は国際的な非難を浴びるのです。 

武器を持たない一般市民への発砲や、発砲前の警告などを規定した
交戦規則違反と殺人容疑などで、大佐は軍事法廷にかけられます。
しかし、ベトナム戦以来の旧友の弁護人に支えられ、大佐側は、
「海兵隊にも死者が出ていた上、群衆に混じって
  先に銃撃してきた多数の武装ゲリラに対する正当な応戦だった」と反論。
逆転勝訴し、軍規違反の汚名を免れるという筋書きです。 

一般市民を巻き添えにした作戦行動が、本当に米軍の交戦規則違反に
あたらないのかどうか、映画の内容だけではよくわかりませんでした。
しかし、現場指揮官のとっさの判断が、
国家の威信を失墜させてしまうほど深刻な結果を招く
ことを描いた点では興味深い作品でした。 
交戦規定は、こうした偶発事態を避けるため
各国の軍隊が独自に設けている軍規です。
しかし、自衛隊の場合には、訓練用のものや
国連平和維持活動(PKO)の武器使用基準の
ほかには、実戦に備えた交戦規定がありません。
専守防衛の立場から、自衛隊が先制的に
攻撃することはありえない、と考えられてきたため、 
必要性が議論されなかったからです。 
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幹部自衛官の卵・本科生(学部生)
のハードな脱出訓練
映画を見た幹部自衛官は、主役の指揮官の立場に
自分を置き換えていた人が多かったようです。
知人いわく、
「在外公館での救出任務自体ありえないでしょうが、
  (自衛隊への風当たりが強い) 日本では、
  とても勝訴は考えられません……」。 

それにしても、作戦行動で問われる指揮官の判断は重大です。
これは、バレンツ海での演習中に起きた
ロシア海軍の原潜クルスク沈没事故にもあてはまりそうです。
事故隠し、救援要請の遅れ、原因のなすりつけ合い……。
事故原因はまだよくわかりませんが、指揮官たちの判断の誤りの数々が、
やがて調査で少しずつ明らかになるのでしょう。 

国防費が旧ソ連時代の7分の1に減り、薄給や訓練不足に
苦しんでいるとはいえ、西側を震え上がらせた
かつての精強さは面影もなく、醜態をさらしただけでした。
組織の統率の問題ととらえるならば、
自衛隊にとっても他人ごとではありません。 

 
- 夏の総決算 -

7月、8月と、あちこち足を運んで資料と文献を入手し、
それらに目を通す日々が続きました。
いつしか昼夜が逆転し、とった食事の回数を忘れ、
きょうが何曜日だかわからなくなるほど没頭したというと、
ちょっと言い過ぎでしょうか。
それでもハードな取材現場を渡り歩くのと比べても、
決して楽とはいえない日々でした。 

論文の題名もだいたい固まりました。
「米国の軍事戦略と米軍の日本駐留−
  国防総省から見た在日米軍基地の意義の変遷」です。
冷戦の終結をはさんで、米国の目から見た
日本の米軍基地の役割がどのように変化したか、
主としてペンタゴン・ペーパーから分析する予定です。 
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  修士論文のボリュームは8万字前後と言われます。
  A4判の用紙で横書きなら、およそ80枚です。
  新聞記者が書くやや長めの記事が、
  だいたい1200字から1800字くらいですから、
  「大原稿」を5、60本書くのに匹敵します。
  とても一気に書ける分量ではありません。 
取りためた米国国防総省関係の資料は
2000ページを超えました
構成としては、序章、第1章、第2章と進み、だいたい第5章くらい
で締めくくり、あとは結論となるのが一般的な形式です。
クラスメートのなかには、すでに3章まで書き上げた、
なんていう速攻派もいますが、現時点では、おおむね目次と序章、
第1章くらいが平均でしょうか。
やや遅れ気味の私も、ようやく1章の執筆に着手しました。 

目指すは12月の発表会です。
このころまでには、ほぼ完成した粗原稿を提出し、
それをもとに30分程度で研究発表、
さらに教授陣の試問に答えなければなりません。
残り3カ月。
新聞の締切時刻の間際に1分、2分を争うときと同じで、
胃が痛くなるような日々が続きます。 


- ハーバードへの旅立ち -
昨年4月、防衛大学校に研修生として
一緒に入校した仲間が、このほど米国の留学選考に      
無事合格し、9月からハーバード大学
(マサチューセッツ州)の  ケネディー行政大学 
(John F. Kennedy School of Government )
で学ぶことになりました。 
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湯下兼太郎2尉
陸上自衛隊の湯下(ゆした)兼太郎2尉(28)です。防大出身の39期。
大学時代からグライダーで空中遊泳を楽しむ趣味があり、
秀でた語学力と豊富なコンピューターの知識をもつ若手幹部です。
今後2年間は国際政治学の最前線、ケンブリッジが彼の「演習場」です。
自衛隊にはこんな人もいます。合格の苦労談をお聞きしました。 

湯下兼太郎2尉インタビュー
 Q&A

 前回は、日米同盟の役割の変化についての問題でした。
 日米同盟の始まりは、第2次大戦後、
 新たな米ソ対決の時代を迎えるにあたって、
 米国が日本の力を必要としたことでした。
 日本にとっても、安全保障を米国に依存し
 経済復興に専念できることは好都合でした。 

 占領軍の当初の方針は、日本の非武装化と民主化にありました。
 日本本土に恒久的な米軍基地を設けることは考えておらず、
 非武装・中立化した本土を沖縄と切り離し、
 沖縄を軍事要塞化することで、
 北東アジア一帯の安定を保とうと考えたようです。 

 グローバルなソ連封じ込め政策の立案者として知られる
 ジョージ・F・ケナンの回顧録を読むと、1940年代末、
 マッカーサー元帥と対日占領政策を話し合うために来日した際、
 「日本本土への米軍基地設置は必要ないが、
   沖縄は戦略的に重要という点で互いに意見が一致した」
 というくだりがあります。 

 運命を変えたのは朝鮮戦争でした。
 米国は、後方の支援拠点として沖縄だけでなく
 日本本土にも大規模な基地を必要とし、
 米政府の方針転換がはかられました。
 それ以来、米国の軍事戦略に組み込まれ、
 太平洋地域でソ連の脅威を封じ込める拠点となってきました。 

 1991年のソ連崩壊で構図は変わったはずですが、
 日米同盟関係は維持されています。米国政府の主張はこうです。

 冷戦で封じ込められていたアジア・太平洋地域間の対立や
 憎悪が吹き出す恐れがあり、太平洋国家として米国は、
 そうした安定化に寄与する必要がある、と。
 理由は米国の経済繁栄です。 
 すでにこの地域と米国の貿易量は、
 欧州とのそれをはるかにしのぎ、全体の4割以上を占めています。
 米国にとって死活的に重要な地域で、
 その安定を支えるために日本の基地と
 政治的・経済的協力が引き続き必要であるとしています。 

 次回は、明治以来、日本が結んできた軍事同盟についてです。
 いずれも相手国が覇権国という共通性があります。
 しかし、中身はかなり異なります。
 日英同盟、日独伊三国同盟、日米同盟の共通点と相違点を述べよ、
 と尋ねられたら、どうお答えになりますか。