「米国の軍事戦略と米軍の日本駐留」
冷戦終結をはさむ在日米軍基地の意義の変遷
1 目的
ソ連に対抗する目的でできた日米安保体制は、
ソ連の軍事的脅威の消失とともに、当初の軍事的な使命を終えた。
それにもかかわらず、日本列島には、
その後も米軍の大規模な兵力と基地が存続している。
米国は、冷戦終結後もなぜ日本に軍事基地を維持する必要があるのか?
本研究ではこれを問題意識にすえ、米国にとっての在日米軍基地の
意義の変遷を探ることによって、その解明を試みる。
分析期間は、主として新冷戦の1980年代初めから、
日米安保の再定義を経て、
新ガイドラインが策定される1997年までを対象とする。
2 意義
冷戦後の日米安保体制の変化についての先行研究は数多い。
しかし、在日米軍の基地や兵力そのものが、
冷戦終結をはさむ米国の軍事戦略の変化のなかで、
どのように役割や機能を変えていったのか、
また、なぜ冷戦期とほぼ同じ規模でそれらが存続しているのかは、
必ずしも十分に解明されているとはいえない。
こうした問題を明らかにするために、本研究は、
日本の米軍駐留に言及している米国政府の公式文書や議会証言に着目し、
米国側の意図の変遷を浮き彫りにすることを狙いとしている。
資料としては、主に米国防総省の公刊資料や同省関係者による
議会公聴会での証言に加え、実際の米軍部隊の変化を把握するために
米軍の機関紙などを用いる。
3 要旨
冷戦終結をはさむ前後の時期を対比させる必要から、分析対象の期間を、
(1)ソ連対抗型の冷戦期
(2)関係模索の移行期
(3)新たな安全保障関係を構築した冷戦後期 - に3区分し、
各章ごとに、それぞれの時期の基地・兵力の意義や機能・役割を比較する。
構成は次の通り。
・序 文…… 問題提起
・第1章…… 米国の海外基地網の成り立ちと、
海外基地の保有に対する考え方をまとめる。
・第2章…… 1979年の新冷戦の始まりから、
米ソが冷戦終結宣言する1989年まで。
日本の基地は、ソ連極東軍の強大な軍事力を
抑止するための、米軍の大規模兵力を固定的に
駐留させる前方展開拠点。
主要な目的は、日本防衛と極東の地域紛争の抑止。
・第3章…… 1989年から日米が新たな安全保障関係を模索した1994年。
米国の軍事戦略はソ連対抗型から
地域紛争対処型に移行し始め、
日本の基地はアジア・太平洋で活動する
米軍の支援拠点として整備が始まった。
ところが、湾岸戦争や北朝鮮核疑惑への対応をめぐって、
両国間に摩擦や不信感が目立ち、
新たな関係を築きあぐねたため、
十分な整備は進まなかった。
・第4章…… 日米が新たな関係構築に着手した1994年から、
新ガイドラインが策定された1997年。
アジア・太平洋は、米国の経済再生のチャンスを握る
最重要地域と位置づけられ、地域安定を目的とした
米軍のテコ入れが進んだ。
日米は共同して地域安定化に乗り出し、
日本の基地はペルシャ湾まで拡大した
太平洋軍の活動を支援する前方プレゼンスの拠点となった。
・結 び…… まとめ
4 結論
在日米軍基地は、冷戦期には大規模戦力を実際に投入するための
出撃拠点であった。それがソ連の崩壊によって、アジア・太平洋で
兵力規模を縮小した米国の軍事的コミットメントの象徴となった。
ただ、即応対処能力をもつ軍事プレゼンスを、
絶えず広い地域で示すことが必要になり、日本の基地は、
そうした米軍活動を支える基地ネットワークの中軸(hub)へと
位置づけられた。地理的な好位置にあった上に、維持費コストが安く、
さらに受け入れ国からの制約もほとんど受けないなどの
好条件がそろっていたのが、その理由である。