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応用分析化学 国内学会等 海外学会等 NIST留学記 NDA留学記

【報告-最終回】 2001年3月3日掲載 

~ 想像を絶する最後 ~

- まだまだ不安 -
エマージェンシー状態で、掲載が遅れてしまい、誠に申しわけありませんでした。
修士論文の最後の追い込み、想像を絶する日々です。
実はこう書いている現在も、まだ朝から晩までパソコンに向かって書き直しを続けている最中なのです。 

最近の作業を簡単に振り返りますと、締め切りの2月7日に論文を提出した後、
22日に学内の教官3人による審査がありました。
総合安全保障研究科3期の18人全員が臨みました。
私は1時間5分で、研究室で教官陣から質問や意見をいただき、受け答えを求められました。






お世話になった西原正学校長
謝恩会でのひとこま

テーマは、冷戦終結をはさむ在日米軍基地の価値の変遷を、 米国から見たコストとベネフィットに分けて分析検討するものです。 論文は4章だて。参考文献目録を含めると約90頁になりました。 かくも大量の資料を読み、よく作業を継続できたものだと自分では思っていたのですが、 指導教官の目から見ると、まだまだ学術論文としての要件を満たしていなかったようです。 テーマがホットすぎることや、公式文書以外に資料となる手がかりが少ないという弱点もありました。 さっそく及第点にまで引き上げるため、さらなる書き直しを求められました。 これで全面改訂を4回繰り返したことになります。 クラスメートの審査結果は、人それぞれでした。 辛くも質問を乗り切った人がいる一方、審査が糾弾の場になって「泣きたくなった」と漏らす人もいました。 どうやらこの忙しい状態は、卒業式(3月18日)の間際まで続きそうです。 ホンネを明かせば、「この悪夢がいつまで続くのだろう」という不安で一杯です。 - さようなら - この間、もっともつらかったのは社会部の同僚たちが忙しく取材活動をしているのを尻目に、 作業を続けなければならなかったことです。 極めつきは、2月10日にハワイ・オアフ島沖で起きた、日本の高校生を乗せた実習船と 米海軍の原潜の衝突事故でした。 この手の事故は、社会部が中心になって受け持つ仕事です。しかも軍事分野にからみ、 職場にいれば最前線で働かなければならない立場にありました。 左舷に傷跡を残す米原潜グリーンビル

しかし、ここで論文を手放してしまえば、卒業を見送ることになるのも確実です。 致し方なく、事故の推移を見守りつつ、呼び出しに応じられるようスタンバイ状態で作業を続けました。 曜日も天気も、昼夜までもよくわからないうちに、日々が過ぎ去った感じです。 この間、お世話になった教官たちを招いての謝恩会など 学業修了を前にした様々な行事が、既定の日程に沿って行われました。 しかし、どの学生も論文の書き直しと平行してのこと。 別れを惜しんだり、卒業気分に浸ったりする余裕はなかったかもしれません。 私自身も、この「留学記」を落ち着いたところで ゆっくり締めくくれる見通しが立たなくなってしまいました。 ひとまず今回で連載を終えたいと思います。 長らくのご愛読、本当にありがとうございました。 - 所 感 集 - クラスメートのみなさんに、順次、この2年間の学生生活を振り返ってメッセージをいただこうと思います。 社会人の大学院教育ばやりですが、防衛大での学生生活は少々事情が違うようでした。 謝恩会も名ばかり、教官の指導はまだ続きます。

何が違うのか。 米軍将校だった教官の1人に尋ねると、「ミリタリーの世界では、自分を律する厳しい規律が求められる」 という返事がかえってきました。 少々厳しくても、勉強する上で甘えは許されないということでしょうか。 よく落伍者が出ないものだと関心するのは、きっと私だけではないような気がします。 『教授の爆撃』 「さらば、勇気を奮い起こしてわれわれに課せられたる義務を遂行し、 1000年後の英帝国民をして、『これこそは彼等の最も輝かしい時 (Their Finest Hour)であった』と讃嘆せしめようではないか」 とかつての英国首相・チャーチルは、戦時中、 英国が最大の試練に立たされていた時に国民を鼓舞しました。 安全保障研究科における2年間を振り返って一言で表すとすれば、それはまさに「Finest Hour」でした。 我が校の社会科学系教官の皆様が素晴らしい方々ばかりであることは、 他大学の教授の皆様がお認めになっておられるところです。 その分、学生に対するご指導ぶりも素晴らしく、それは学生の立場から見れば、あたかも日々、 ドイツ第三帝国からの爆撃を受けているかのようでもあり、 学生の側は、ぎりぎりのところでなんとかイギリス本土の防空を保っているかのような毎日でした。 チャーチルは戦時中、ごくわずかなパイロットの肩に英国民すべての安全がかかっていた状況を、 「かつてこれほどまでに多くの人々が、これほどまでに多くのことを、 これほどまでに少ない人々に頼っていたことは無い」 とも語っているわけですが、私の日々の状況に照らせば 「かつてこれほどまでに多くの課題を、これほどまでに少ない知識と、 これほどまでに少ない頭脳に頼ってこなしたことは無い」 と言ったところでしょうか。 ――イギリスのことばかり書きながら、修論はカナダを扱っている因幡の素兎 『ここで学ぼう』 日本国の将来を背負おうと考える硬骨のサムライ或いはヤマトナデシコ、及び今、 受けている学校の教育が自分の感性と異なると思っている若者達、ここで共に学び、鍛えよう。 ――安保研究科の第2長老 『公表せぬ者は去れ』 修士論文のテーマは「非交戦国の法的地位-中立法の選択的適用」というもので、 国際法の分野です。 卒業後は法務職域での勤務を希望しており、国際法の知識を生かしていきたいと考えています。 安全保障研究科の卒業にあたり思うことは、私たちは国民の皆様の税金で2年間給料をいただきながら、 勉強させていただいたのであり、このことを忘れてはならないということです。 1年時の授業で "Publish or Perish" という言葉を教えていただきました。 これは、「公表しない者は消え去れ」という意味で、学者の世界で使われる言葉ですが、 私たちも2年間も修士課程で学ばせていただいた以上、研究成果を公表していく義務があると思います。 修士論文が公表するレベルに達していないとしても(私もそうですが)、 卒業後も研鑚を続け、自己の研究成果を公表していきましょう。 私たちは良く入校期間のことを「充電期間」といいますが、 「放電期間」でなかったことを証明するのはこれからの私たち次第です。 ――松本厚・3等陸佐 『ニクソンとの対話に成功』 好学心の余り(?)安保研に入校しましたが、学問の奥深さを悟らされたというのが今の実感です。 とりわけ、修士論文作成中は、朝から晩まで、 テーマである『ニクソン政権のベトナム政策』の研究に没頭する日々が続き、 学問の厳しさを、そして楽しみを全身で感じることができました。 夢でニクソンとの対話に成功するにまで至った時は、我ながら空恐ろしくなったものです。 恐らく、これだけの情熱を燃やして研究に打ち込む機会は、今後の人生でもそうそうないでしょう。 そういう意味で、いい体験をさせていただきました。 我が修士論文は、まだまだ究極の一品のレベルに達していませんが、 井上家の家宝として永久保存しておきたいと思っています。 また、安保研では、学問を通じて、なかなか接触できない海上・航空自衛官や事務官、谷田記者など 陸上自衛官以外の方に親しく接して、部隊勤務にはない刺激を受けました。 指導教官はじめ教官方の学識と熱意あふれるご指導にも感動しました。 安保研で得たものを、今後の勤務に反映し、「防大安保研」の名を高めようと思っております。 ――井上嘉史・2等陸尉 『甘美なる場所』 振り返って見ると、2年間本当に早かったです。 高等遊民できるか、という夢は教官の皆さまの すさまじい必読文献攻撃により潰えましたけれど、 ただ給料もらいながらこれだけ自由な院生生活ができるとは、自衛隊もなかなかやるな、と思いますね。 本音を言えばあと3年くらいこういう生活をしたいですけれど、 それはないものねだりというものでしょう。 とりあえずこの場をお借りして、こつこつ原稿を書き溜め、 わが人生でもっとも甘美な思い出の場所たる安保研の名を 全国に広める上で功績大であった谷田さんと、 在籍中にお世話になった全ての方々にお礼申し上げます。 ありがとうございました。 ――栁谷武志・1等空尉

『今後も舞台努力』 まず、谷田記者には、修士論文作成、不慣れな職場環境、 遠距離通勤そして子育て等の実に多忙な状況の中で、2年間にわたり「留学記」を欠かすことなく、 継続されたことに敬意を表したいと思います。 防大総合安全保障研究科が創設されてから4年が経過しようとしていますが、 我々3期生が在職した時期は、まさに基盤づくりの最中にあり、非常に大切な時期であったと考えています。 その時期に2年間学生として勤務させていただきましたが、先生方にご迷惑をかけること多々で、 研究科発展のために貢献できなかったことを申し訳なく思っています。 今後、一層有為な人材を送り込めるよう部隊において努力します。 ――茂津目晴道・2等海佐 『設立趣旨を反芻』 私を含め多くの学生が戸惑ったことに、研究テーマというか研究のスタイルとして、 政策提言型の研究がタブー視されていることがあります。 学位の門戸が開放されたとはいえ、まだ学内で付与できない現状では、 学界で審査・評価の対象となりうる研究分野に限定されざるを得ないことは理解できます。 しかしながら、総合安全保障研究科の設立趣旨と 現状の学生の研究テーマには、随分と乖離があるのは否めません。 いつの日か、総合安全保障という研究が学界でも市民権を得られることを期待します。 ――匿名希望氏
Q and A
 今回の問題は、日米同盟は日本を含む多角的な安全保障体制によって取って代わることが可能かどうか、
 という問いでした。

 アジア太平洋地域には、欧州のNATOのような多角的安全保障体制はまだできていません。
 ASEAN地域フォーラムのような、参加国間の信頼醸成や予防外交を目指す協力的安全保障の枠組みに、
 そうした役割を期待する考え方もありますが、結論から先に申せば、日米同盟に取って代われる
 枠組みにはならないと言わざるを得ません。 

 その大きな理由は、諸国間の対立や紛争が顕在化した場合に、
 それを終息させるための強制手段をもっていないことです。
 NATOには、軍事力を用いた強制的な危機対処についてしっかりした取り決めが確立しています。 

 それでは、日米に何カ国かを加えて拡大した新たな同盟を作ればいいという考え方も、
 理論的には成り立ちます。
 しかしその場合も、どういう脅威に対抗して同盟を作るのかという根幹の問題になると、
 アジア太平洋の現状から見て、どの国が加わるにしても
 同盟形成の明確な動機づけが見当たらないことがわかります。 

 西原正・土山実男共編『日米同盟Q&A100』(亜紀書房)を参考にしました。
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