安全保障研究のCenter of Excellenceを目指して
国際社会の平和と安全を担う人材を育成する
「これは大きい」「震源はどこだ」―。卒業式を9日後に控えた2011年3月11日午後2時46分。東北地方を襲ったマグニチュード9・0の地震は、横須賀市小原台にある総合安全保障研究科(安保研)の建物も、約1分間にわたって揺らし続けた。研究室では私と2人の幹部自衛官が、修士論文を提出する準備をしていたが、強い横揺れに互いに顔を見合わせることしかできなかった。取材先である防衛省に向かうため外に出ると、周辺の信号機はすべて消え、約7`の距離を歩いて到着した京急横須賀中央駅は、運行再開を待つ市民であふれていた。
数万人が死亡・行方不明になり、福島第一原子力発電所にある4機の原子炉が制御できなくなる事態に、防衛省・自衛隊は約10万人を動員して臨んだ。特に厳しい決断が要求されたのが原発への対処だ。CH47が3号機に散水する前日の16日、記者会見で「隊員に危険はないか」と問われた北沢防衛相は、「最後に国民の命を守るのは自衛隊。ギリギリのところで任務を遂行する決意は固めている」と語った。緊迫した局面が続くさなか、核テロ対策などについて講義を受けた教官からメールを頂いた。「国家的危機の中では感情に左右される場面に数多く直面する。このようなときにこそ冷静に取材を重ねて欲しい」。
安保研の最大の特徴はこのように学生と教官の距離が近く、少数の学生がその分野の第一人者である約40人もの教官を「独占」できる点にある。入校1年目は「軍備管理論」「国際紛争論」「欧州安全保障論」といった演習形式の講義で、安全保障に関わる知識や思考方法を学ぶ。中には学生と教官が1対1で相対する講義もある。2年目のメーンイベントは、修士論文の進捗状況を報告する「特別演習」だ。ここでは学生が約10分間発表した後、1人の学生に対して10数人の教官が質問の「十字砲火」を浴びせる。これを1年間繰り返す作業は楽ではなく、途中で部隊に帰された学生もいた。
もう一つの特色は、学生の出身母体の多様性にある。13期学生は陸海空の幹部自衛官7人と、海上保安庁、衆議院事務局、読売新聞からの出向者、韓国海軍の留学生の計11人で構成されていた。年齢は42歳から28歳まで。安保研は社会人大学院としての側面が強く、多くの学生にとって日常業務から離れた2年間は、自分の仕事を見つめ直し、見識を深める貴重な時間でもあった。例えば国際安全保障コースに所属する学生の多くは、修士論文を作成するために海外に資料収集に出かける。13期学生は米国、インド、韓国、フィンランドのほか、西アフリカのセネガル共和国にも渡航した。
気候変動問題を巡る交渉力学の分析をテーマに選んだ私も、地球温暖化で被害を受けるキリバス共和国の大統領らにインタビューを行った。修士論文を作成するこれらのプロセスで気付いたことがある。資料を集め、現場に行き、そして人から話を聞いたうえで原稿を書く。それは新聞記者の作業そのものであるということだ。ただ、締め切り時間がある記者は、目の前の現象ばかりに目を奪われることがある。だから物事の因果関係、即ち、原因と結果の関係性について論理的に思考することを学んだ安保研での訓練は、今後の取材に生きると思っている。
安保研では2010年度からTeaching Assistant(TA)や、Research Assistant(RA)制度が導入され、自衛官以外の社会人や学生にも門戸が開放された。13期学生が卒業式を迎えた3月20日の段階では、東日本巨大地震は被害の全容すら判明していない。日本が国家的危機に直面している今こそ、多くの人がこの過程にチャレンジし、安全保障に関する見識を深めてほしいと願っている。
高沢 剛史
1974年新潟県生まれ。1997年筑波大学卒業、信濃毎日新聞入社。2003年読売新聞東京本社入社。2005年社会部。警視庁捜査1課の担当を経て2009年から防衛省記者クラブ。