X線結晶解析学とは何か
(1)分子やイオンの構造はどのようにしてわかったのだろうか?
現在までに多くの分子やイオンや高分子の構造がわかり多くのデータが蓄積されてきましたが、その99%以上がX線単結晶解析法によって得られたものです。これはX線の回折現象を利用した分析法です。X線に限らず、すべての電磁波は回折現象を起こします。回折現象とは板に小さな穴を2つあけて置き、そこに光を当てて反対側にスクリーンを置くとそのスクリーンに縞模様が生じる現象です。では穴が3つ以上だったらどうなるでしょうか?3つ以上では縞模様ではなくて斑点になります。この斑点を回折点とか逆格子点とか言います。スクリーンのかわりにフィルムやカウンターを持ってくれば、この回折斑点の明るさがわかります。実はこの回折斑点すなわち逆格子点の明るさには穴の近くの多くの情報が含まれています。結晶にX線を当てるのはちょうどこの回折現象と同じことを利用します。3つ以上の穴の代わりに結晶中に並んだ原子と原子の隙間が利用されます。結晶中に原子は3次元的に並んでいますから、穴は3つ以上あると考えられます。このような穴をスリットとか回折格子とか言います。逆格子点の明るさには多くのスリット近辺の情報が含まれていますから、結晶を回折格子に使った場合は結晶の中の原子の並びに関する詳細な情報が含まれています。この情報をうまく汲み取ることができれば結晶中の分子の構造が明らかになるわけです。また、回折斑点の分解能は入射する光の波長によりかわりますが、一般的には回折格子の幅、すなわち穴の間の距離と同じくらいの時が最も大きくなります。一般に原子間距離は炭素間距離で約1.5オングストロームが多く、当てるべき光の波長もこのくらいが妥当になります。この波長の電磁波はちょうどX線になります。従って、結晶中の原子や分子構造を調べるにはX線を結晶に当てて得られる回折点の情報が最も有効になるわけです。
(2)位相問題
これらの回折点の情報だけで結晶中の原子構造や分子構造があきらかになるのでしょうか?すなわち顕微鏡のように分子の像が見えてくるのでしょうか?残念ながら回折点の明るさだけでは分子や原子の姿が見えてはきません。像を結ぶためには回折点の明るさ(強度)と位相(0-360度)がわからなければなりません。残念なことにX線回折法では強度を計る瞬間にその回折点の位相は永久に失われてしまいます。光学顕微鏡や電子顕微鏡で像が見えるのはこれら位相をまとめるための道具すなわちレンズがあるためです。光学顕微鏡の場合にはガラスのレンズが、電子顕微鏡の場合には電子線を束ねるための電磁レンズがあります。X線解析の場合にはこの意味では像を作り上げるのに必要な半分のデータしか手に入らないことになります。X線解析ではこの位相を研究者が、各回折斑点ごとに想定して計算してみます。実際の測定では数千以上の回折点を測定しますが、想定する位相はこの全部である必要はありません。実際上は、10個程の回折斑点に0,
45, 135, 225, 315度の4種類の位相を組み合わせて、最も良い構造を見つけます。最近はコンピュータが発達してきたのでこの辺ことはかなり容易にできるようになり、結晶解析がポピュラーなものになってきました。問題は、最初に選ぶ10個くらいの反射の選択が難しく、決まったルールがありません。極端な場合には特定の反射を必ず入れないとうまくいかず、さらにその時に与えた反射の位相は間違っていると言う時もあります。それでもその反射を除くとうまくいきません。その問題はさておき、このような方法で構造解析ができることを発見したのは、J.
Karleという人で米国海軍の研究所の研究者で、1985年にノーベル化学賞を受賞しました。奥さんも有名な結晶学者で同じ職場で働いていましたが、旦那さんの理論の実践をペプチド化合物の結晶解析で試して成功していました。小生は、奥さんの方に留学したくて手紙を書きましたが、海軍の研究所は米国籍がなければ不可とのことでした。小生はノースカロライナ大学に留学したのですが、その1年目に旦那さんがノーベル賞を受賞したのでたいへん印象に残っています。この方法を直接法と言います。回折斑点の強度の中に位相の残骸が残っていて、その情報を引き出したのが直接法だと言えます。回折斑点の強度の中に位相の残骸が残っていると考えた人はほんとうに凄い人だと思います。
(3)決定した構造の正しさは何によって決まるのだろう?
このことに的確に答えられる物理化学者が少なくなっていることは悲しいことだと思います。答えは簡単で、構造解析に使ったデータの量によって決まります。データの量が多ければ多い程、その構造の信頼性はあがります。化学の分野では構造解析法としていろいろな方法があります。しかし、構造解析に使用するデータの数については大きな違いがあります。例えば赤外線分光法では通常2,3個のデータを使います。核磁気共鳴吸収法(NMR)では多くても数十(ただし、2次元や3次元のものは別)、粉末X線法では多くて100個くらいデータです。これに対して、単結晶X線回折法では通常数千の回折データを使用します。データ量には2桁近くの差があります。新しい化合物の合成の報告時には、必ず単結晶X線回折法のデータが添付されないと有名な雑誌では認められませんが、それはこのような理由からです。決してX線で測定したからではありません。現在でも単結晶X線回折法は最も信頼性のある構造解析法と言われています。