はじめに
[アメリカで自動車免許をとる]
三十路を目前にした、私の今の目標です。
この、あまりにも無謀な目標に挑戦してから今まで、多くの困難を体験しています。
それは私が車に向いていないからでしょうか、
それともアメリカという異国での教習だからでしょうか。
私の奮闘記を読んで、ごく普通の日本人がアメリカで免許をとるまでの道のりを、
皆さんにも知って頂いて、笑っていただければ幸いです。
主人のアメリカ留学が決まり、私と息子も当然同行することになりました。
いつかはこの日が来るのは分かっていましたが、海外旅行の経験もないのに、
いきなり海外生活を1年間もするという事で、正直とても動揺しました。
そして、渡米前から私は問題を抱えていました。
[アメリカに行ったら、主人には仕事がある、優太は
保育園Montgomery Village Day Care Centerにて、3歳の誕生パーティを開いてもらった。ケーキは自家製。こういう時は持ちこみのようだ。
などに入れて、
アメリカの生活に触れさせよう、じゃあ、私はいったい何をすればいいのだろうか?]
ご主人が留学経験のある奥さん方に聞くと、ほとんどが英会話を習っていたようです。
でも、私は学生時代から英語が苦手で大嫌いでした。
多分、英語が得意ではなくても、人並みに好きなら、今の人生は歩んでいなかったと、
断言できるほど、苦手で、なのに英語に翻弄される人生でした。
(別に今の生活がイヤなわけではありません、むしろ、良かったと思っています)
そんなコンプレックスを持つ私がアメリカで生活をし、しかも英会話、、、
私に胃潰瘍になれと言っているようなものなのです。
車の免許が頭に浮かんだのは、ご主人のイギリス留学に同行した奥さんから、
イギリスで免許を取った話を聞いてからです。
アメリカでは、身近な人に運転を教えてもらって免許を取る事を、
以前から私は知っていたので、主人に教えてもらって免許が取れるのなら、
とても私に向いているし、私もアメリカ生活の成果を残せる。
そう思って決心したのです。
その時はこんな事になろうとは、、、夢にも思わず、簡単に決心したのでした。
ラーナズパミットまでの道のり
先に渡米した主人も、国際免許からアメリカの免許に書き換える必要があったので、
ついでに私が免許を取れるか調べてもらいました。
国際電話の向こうで主人は[多分大丈夫、少し問題はあるけど]と言いました。
私は決心を更に固くして、99年10月、息子と2人で渡米しました。
ところが、渡米してさらに詳しく聞いてみると、思っていたよりずっと大変で、
道のりの長い事だと言う事がわかりました。
なんと、私の渡米する3ヶ月前、99年7月1日から、制度が大幅に改正され、
とても厳しく、免許取得まで長時間かかることになっていました。
[誤算だった、、、、]これが正直な私の気持ちです。
でも、日本の友人達や、アメリカで知り合った友人達にもすでに、
[免許取得宣言]をした後でした。
[あとには引けない、、、、]ほとんど意地でした。
アメリカで運転免許を取る手始めに、まず仮免許を取らなければいけません、
その前にもIDチェックや様々な手続きがありますが、説明は除外します。
仮免許[ラーナーズパミット]を取得するには、学科試験があります。
コンピューターに問題が表示されて、15分間に20問答えて、17問以上正解すると合格です。
アメリカの州の中には、日本語で受験できる所もあるそうです(NY州など)。
あいにく私の住んでいるメリーランド州では、そんな気のきいた制度はありません。
問題は、MVA(陸運局)で発行している教習本に書いてあるところから出ます。
ですから、その本を勉強すれば確実に点はとれます。
しかし、私の実力ではその本を読み理解するのに、多分数ヶ月かかるでしょう、、、
[もうダメだ、、、、]私は今度こそ覚りました。
でも、そんな私に救いがありました。
運がいいというか、こちらの日本人会には秘伝の過去問題があったのです、
[これがあれば7割はいける]ということだったので、
ひたすら暗記する事にしました。
試験問題は、3~4択です、例題を挙げて見ましょう。
YOU ARE DRIVING UP TO AN INTERSECTION WHERE THERE IS NO
SIGNAL LIGHT OR POLICEMAN.IN A CROSSWARK A PEDESTRIAN IS
CROSSING YOUR HALF OF THE STREET,YOU SHOULD?
A. BLOW YOUR HORN AND CONTINUE THROUTH
B. STOP AND GIVE HIM THE RIGHT OF WAY
C. STOP BUT TELL THE PEDESTRIAN YOU HAVE THE RIGHT OF WAY
本番では、このような問題が20問出題されます、ちなみに答えはBです。
私のバイブル、過去問題には、80問くらいが載っていて、A4の用紙15枚くらいありました。
夜、主人に解説してもらいながら、私はひたすら問題も答えも暗記しました。
そして、暗記は完了したけど自信の無いまま、試験本番に臨んだのです。
試験はMVAが開いている時ならいつでも受験できます。
空いていれば終了まで30分もかかりません。
まず視力検査をして、そのあと学科試験用コンピューターに向かうと、
画面には[WELCOME]の文字が、、、
[ここに座るのはこれで最後にしよう!]私はそう決心して試験に挑みました。
久々の緊張感、手に汗がにじみます、キーボードを押す指が震えます。
[アッ 過去問と同じだ]そんな問題が続きました。
しかし、、、全く知らない問題も登場、しかも、単語も見た事が無いので、
問題を理解する事すら出来ません。ますます緊張し、その後の問題を正解できたかも、
わからなくなってしまいました。
オロオロ回答しているうちに、20問が終わったらしく、画面から問題が消え、
不合格の文字が、、、、16問正解して、1問に泣きました。
不合格をすると、次の日以降に再受験できます。
2回落ちると3回目の受験には1週間の間隔が必要です。
問題も、受験する時によって全然違います。私は次の日再チャレンジしました。
昨日よりは落ち着いて問題が解けました、キーボードもちゃんと押せます。
しかも、運が良くて、過去問にない問題も、どうにか解く事が出来ました。
そして合格!!
嬉しくて飛びあがってしまいました。
今まで試験は沢山経験しましたが、一番合格して嬉しかったように思えます。
本当に、自分の年も考えず、はしゃいでしまいました。
試験に合格すると、張れて仮免許(
Learner's Permit2回目の筆記試験を合格して取得したメリーランド州の仮免許。ちなみに私(旦那)は3回目で筆記試験に合格した。。。。重要な部分と見るに耐えない部分は隠してます。あしからず。
)が発行されます、
これは本免許証と同じカードで、写真もついています。
違うところはカードに[Learner`s Permit]と書かれているところだけです。
国際免許をアメリカの本免許に書き換える人も、この試験は受ける事になります。
合格すると、すぐに運転の試験を受けて、合格するとすぐに、免許がもらえます。
国際免許取得者も、3時間のアルコール、ドラッグ講習は義務づけられています。
やっと私は念願のラーナーズパミットを手にしました。
これがあると、もう普通の道で運転練習が出来ます。
はっきりいって、エンジンのかけ方すら知らない私が、もう道路で運転出来る許可を得た、、、、
[なんて無謀な事を、、アメリカは、、、]私は思いました。
ドライビングスクール入校
メリーランド州では、仮免許を取得してから免許を取得するまで、
4ヶ月の時間を空けなければいけません。その間に、
30時間、ドライビングスクールで学科講習、
6時間、教官を乗せての実地教習、
40時間、身近な免許を持っている人に教官になってもらっての実地練習、
3時間、アルコール、ドラッグ講習
これを全て終えて、4ヶ月後に、はじめて実地試験を受けられます。
私は数時間、主人に運転を教えてもらってから、ドライビングスクールに入校しました。
入校にはとても勇気が必要でした。
はっきり言って語学力に自信がありません、
入校すれば、当たり前ですが、講義は全部英語、私に理解できるのか、、、、
でも、入校しなければ、私の夢も終わりです、クヨクヨ考えず[ダメならそこで辞めればいいのさ、
先生に go out!と言われるまで、異国籍パワーでいすわろう]と、
そんな気持ちで入校しました。
まずは30時間の講義を受けます。学校は、私の自宅から徒歩で20分です、
初日は緊張しながら教室に入りました。
私が受講した時間は、昼の12時から3時までの3時間です。
昼間だから、私のような年代の主婦が多いのかな?と思っていましたが、
予想外にクラスメートはティーンエイジャーばかりでした。
この子達は、高校はどうなっているのだろうか????よく判りませんが、
先生と生徒4人の2週間講習がスタートしました。
先生はとても陽気な人でした、名前が[Sunday]と言って、
よく[僕の名前はMondayじゃない、Sundayだ]と、
万国共通のおやじギャグを連発していました。
講義も、ティーンエイジャー向きに(もしかして私向き?)
丁寧に説明してくれるので、私にもなんとか理解できました、
でも、全体の半分くらいでしょうか、、、
全く判らない3時間を過ごすのかと予想していたので、半分の理解でも、自分では満足な初日でした。
主にこの講習では、運転する心構えや、ルールなどを学びます。
連日の講習で、先生の発音のクセなどもわかってきて、
なんとか少しづつ理解できるようになってきました。
でも、大きな問題があったのです、
それはほとんど毎日のようにテストがあることです。
20問程度の問題を15分くらいで解きます。
これは、教習所に通っているという証明で、MVAに報告されます。
ですから、ある程度の正解数が必要らしく、最低でも8割は必要です。
いつも先生は、テストをする前に、その問題を詳しく解説して、
答えも教えてくれます。そしてすぐに同じ問題を解くわけですから、
他のティーンエイジャー達は、余裕で回答します。
私も英語さえわかれば、余裕があったのでしょう、、、しかし実際そうはいきません。
とにかく、点を取るために、私は先生が話す英語の単語を、
ひたすらカタカナでノートに走り書き、解説や答えも書きまくりました。
テストの時は、ノートを見ても怒られないので、(見て見ぬふりかも?)
私は自分の走り書きのカタカナから、答えを探して回答します。
はっきり言って、これでは学んでいることにはなりません。
でも、テストだけは、パスしないといけないので、なりふり構わず回答しました。
テスト前、先生の解説の中で、先生がいつも口にする言葉。
[ザッツ コレ アンサー]
英語の苦手な私は[コレ? これ? 日本語みたいだなぁ]
などと思いながら聞いていました。
まさか先生が[これ 答え]と言う訳がないので、ではなんて言っているのだろう???
主人に聞いて見たら、[ザッツ コレクト アンサー]と言っているそうです。
以前も[ドット コム]を[ダンカン]と聞き間違っていた私です、
本当に英語を聞き取るのは難しいですね。
でも、今回は、ベラベラと英語を聞かなければならない私にとって、
最も重要なテストの答えの所で、[これ 答え]と言ってくれるので、
分かりやすく、とても助かりました。
先ほど説明した通り、私のクラスは4人しか生徒がいませんでした、
そのせいか、2週間も席を共にすると、結構仲良くなるものです。
日本人、スパニッシュ、アフリカンなど、それぞれ肌の色が違います。
16才の年齢の人達との交流も、久しぶりの事でした。
私は結婚する前1年間、高校の教壇に立っていましたので、
とても興味をもってみんなを見ていました。
アメリカのティーンエイジャーも、日本人と同様に、
大人っぽくしようと頑張っている雰囲気を持っていますが、
どこかあどけなさが残っていて、とても好感が持てました。
少し雑談をしてみると、[日本人は蛙やねずみは食べるのか?]など、
面白い質問が多かったです。
彼らは日本人と韓国人と中国人の見分けがつかないと、言っていました。
確かに、私の住んでいる所は、アメリカなのにとても異国籍の人が多く、
ショッピングモールなどに行っても、[日本人?]と見間違える人を沢山見かけます。
[私も中国人と日本人を見間違えるのよ]とティーンエイジャー達に話すと、大笑いしていました。
先生は陽気でノリの良い人で、教材のビデオの音楽でも、踊り狂っています。
授業の中で、生徒の事を呼ぶ時は、基本的にはイニシャルで呼びました。
でも、先生の気分によって毎回呼び名は変わります。
私が呼ばれたのは[マダムMA]、コレはかなり恥ずかしかった。
アメリカでは結婚している女性はマダムで当たり前ですが、慣れていない私は、
日本での[マダム]のイメージが抜けきれなくて、抵抗がありました。
その他、[クイーン]とも言われ、、、
テーンエイジャーの中にいきなりお姉さん(おばさん?)が混じっているのだから、
クイーンになってしまいますよね、、、、
とにかく、毎日どんな風に呼ばれるのか、とても楽しみでした。
興味深かった事は、授業中、先生が質問すると、
ティーンエイジャー達は指名されたわけでもないのに、
そろって答えます、分からない事があると、すぐ先生に質問します、
生徒が4人しかいないのに、授業が本当に活気にあふれているのです。
経験上日本では、授業中に先生に指名されていないのに、
私語以外で口を開く生徒は、本当に限られています。
[きっと日本とは学校の授業展開が違うのだろうなぁ、根本から教育が違う]
先生と生徒が活気ある授業を共に作り上げる、、、、日本でも見習うべき事だと思いました。
そしてビックリしたのは、[エクスキューズ ミー]です。
授業中、小さな咳一つ[コホン]でも、みんなは小声で言います。
それに気づいたのは受講して数日経ってからでした。
マナーが良いですよね、日本ではそうはいきません。
通っていた頃、私は風邪気味で、咳がたくさん出ていました。
みんなが[エクスキューズ ミー]を言っているのに気づいてからは、
なんとなく急に私が言うのも恥ずかしくて、咳をじっとこらえていました。
いきなりアメリカナイズは難しいです。
でも、息子には教えていこうと思いました。
そんなこんなで、学科講習最終日(3/24/00)、連日のプレッシャーと苦痛の中、
やっとここまで来た嬉しさ反面、授業の雰囲気は楽しかったので、
これでみんなとお別かれと思うと、少し寂しくも感じました。
色々な書類を書いていると、私はパスポートナンバーが必要だということでした。
その日は持ってきていないので、
[後日で良いのか、パスポートだけの身分証明で良いのか]
など、先生に質問したところ、先生が笑って言いました。
[なんだ、ミキ、英語話せるじゃないか、とても良く通じたよハハハ]
確かに、先生とは連日挨拶程度で、ほとんど言葉は交わしていませんでした。
授業中も、先生の話を頭の中で理解するので必死で、
しかも、質問するほど理解もできませんでした。(笑)
これでは先生も、私が英語を話せないと思ってもしょうがないですよね、
最後の最後で、[ほんの少しは話せるのよ]という事をアピールできて良かったです。
先生とは話す機会は少なかったのですが、事務の人とは時間の確認などで、
沢山重要な話をしました。
質問がある時は、前日に主人にどう言えば通じるのかを聞きます。
主人は丁寧に教えてくれます、しかし、、、、文法など、私にとっては難しい。
ノートに書いていたら、理解できますが、人を目の前にして、
自分の言葉にして話すのは本当に大変で、なおさら緊張してしまいます。
結局自分流に簡単な単語を並べて、ジェスチャーも交えて質問していました。
質問をしても、答えがわからなかったら困るので、初めから
[YES か NO で教えて下さい]などと、付け加えます。
ですから、事務の方は私の話を聞くのは大変だったと思います、
それでもちゃんと聞いて、丁寧に対応してくれた事に本当に感謝します。
学科講習が終わって数日後、3日間の実地講習が始まりました。
先生を助手席に乗せて、1日2時間走ります。
これもかなり緊張していました、なぜなら、走行中に知らない単語で指示されると、
大変困るからです。
[先生はいったいどんな指示を出すのだろうか、、、]
心臓がドキドキしました。
先生の教習車が私の住んでいるアパートまで迎えに来てくれて、
私が乗って教習開始です、もちろん練習場所は普通の車道です。
それまで私は普通の道路を14時間くらいは運転していました。
だいぶ慣れてはいたのですが、まだまだ主人に注意ばかりされていました。
だから車に乗る時は、いつでも緊張していました。
教習所の先生は、学科の先生とは違う人ですが、
これまた大変陽気な先生で、[心配ないよ]と言ってくれて、
私はとてもリラックスできました。
でも、リラックスの理由は他にもあります。
家での練習は、後ろに息子の優太を乗せての練習ですから、
何かあっては大変です、それに、最も心強かったのは、
教習車には先生が座る助手席にも、アクセルとブレーキがついていたからです。
[これで何かあっても大丈夫]確信しました。
初日の練習は、右折、左折を何回も繰り返しました。
先生は[ターン ライト アット ライト](信号を右に曲がれ)と言いました。
[えっ?]一瞬混乱しましたが、以前、主人との会話の中で、
[ライト]ネタが出ていたので、すぐに判断できました。
この日のレッスンの終わりに、私の運転で、
次に教習を受ける生徒の待ち合わせ場所まで行きました。
どこかのハイスクールの前に、ティーンエイジャーが待っていました。
ティーンエイジャーと運転を交代し、私は運転席から後ろの席に移り、
今度はその人の運転で私の家まで行くのです。
このティーンエイジャーも、今日が初日のようです、
出発前には、先生の指示が飛びます。
さぁ出発![えっ、このハンドルさばきは、、、]
ティーンエイジャーが、相当の初心者である事は、
初心者の私でも、そのハンドルさばきで一瞬で判断が出来ました。
そのわりに、車道に出てからも、先生と雑談なんかをしています。
そして、、、なかなかブレーキを踏まず、先生に注意ばかりされます。
[私は家に無事着くだろうか、、、]
心配しながら速攻でシートベルトを締めたのでした。
無事家にも到着し、このティーンエイジャーの運転を体験して、
私はヘタなりに自信を持ち、残りの2日も乗りきれると確信しました。
2日目、乗った瞬間先生は[今日はドクターの所へ行くよ]と言いました。
[ドクター?]誰だろう???
学科講習の先生が、[ドクターSunday]と呼ばれていたので、教習所なのかな?
と思いながら、出発しました。
始めは昨日同様右折左折を繰り返し、そしてだんだん遠くの方へ、走って行きました。
1時間くらい走って、先生が[ここの駐車場に入れて]と言いました。
何処なのか、、、全くわかりません、とにかく大きな建物の駐車場です。
[降りて]と言ったので、私も車から降りて、その建物の中に入ります、
エレベーターに乗り、とある1室に入りました。
なにやら受付けがあって、ここは待合室のようです。
先生は[ここに座っていて]と言いました、まだ私はここがどこか分かりません。
やっと分かったのは、白衣を着て、聴診器を首にかけた人を見つけてからです。
[病院だ、ドクターというのはこういうことだったのか、、、]
病院と言っても、本当に病院らしくない所だったので、
気づくまでにだいぶ時間がかかってしまいました。
それに、まさか、先生が練習時間中に、かかり付けの病院に行くなんて、
全くの予想外の出来事です。
[私は先生を病院にお連れしたのか、、、、]
全くアメリカは、[おおらか]といいますか、[アバウト]と言いますか、
予想外のことが多過ぎます。
30分くらいして先生が診察を終えて帰ってきました。
[アメリカの治療費は高いよね、そう思わない?]なんて同意を求められ、、、
車に乗りこみました、その時点で私の予定練習時間は終わっています。
[帰ろう!]私の運転で車は動きます、先生が道を指示してくれるので、
運転に慣れた私にとっては、運転はもう簡単でした。
ところが、、、道の様子が変わってきました。
気づいたら、私は、高速道路の中にいました。
こちらは高速道路は無料なので、みんな気軽に利用します。
[ハイウエイーーー]私は叫びました。
ハンドルを握る手に汗が涌き出てきました。
今までにハイウエイは1度経験がありましたが、60キロくらいの速度で、
しかも100mぐらいしか走ったことがありませんでした。
それが、110キロくらいを出して、20分以上走ったでしょうか、、、
途中車線変更も何度もやりました、私は生きた心地がしませんでした、、、、
なんとか無事、家に帰ることが出来ました。
すっかり全神経を使い果たし、この日は帰っても、家事をする気力はありませんでした。
最終日、この日は最終目標、MVAで実地試験で行う、縦列駐車と
せまい空間でのUターン(左に旋回して前進、右後方に後進、前進)をしました。
MVAの駐車場には、練習コーナーがあります。そこまで自分で運転して行きました。
練習コーナーには、私のような教習生が何組かいて、縦列駐車の練習をしています。
私は主人にすでに教えてもらっていたので、大体は出来ましたが、
先生の方法とは少し違っていたので、初めは戸惑いました。
日本の実地試験もそうでしょうが、自分が安全運転を心がけていると、
アピールする必要があると見えて、先生のレッスンは、非常に丁寧でした。
[どうしてここで左右を2回も確認するのだろうか?
そのわりに、線路を渡る時は、何も確認していなかったなぁ、、、]などと、
考えながら、必死で操作の手順を頭に叩き込みました。
6時間の教習を終えて、先生は、[とても上手だった、すぐに免許はとれるよ]と褒めてくれました。
主人に習っている時は、[出来て当たり前、できないと怒られる]
といった感じなので、先生に褒められてとても安心しました。
私は3才の息子がいますが、育児本などによく[子供は褒めて育てましょう]と
書かれています、私もなるべく心がけてはいましたが、
褒められるとこんなにも気分が良く、やる気が出るものかと、実感した3日間でした。
最後に
おおらかで、やさしい先生達に救われながら、教習所の全過程が終わって、
私の肩の荷が少しだけ下りたのは確かです。しかし、まだまだ道のりは長いのです。
免許を取る試験が受けられるまで、あと1ヶ月、
免許を日本に持ち帰る事の出来る、本当のタイムリミットまであと3ヶ月、
日本から持ってきた太田胃酸の大缶を飲み干す前に、
全てをクリアして、アメリカの運転免許を手にしたいと思います。
それが、もしも挫折したり、情報収集ミスで、運転免許が取れないにしても、
今回、教習所に通って様々な人と交流したり、テストを受けたり、
アメリカの授業風景を垣間見た、その経験だけでも、
今後、私の中での大きな自信につながる事と思っています。
それでは、教習所で一緒だったティーンエイジャー達の将来を想像しながら、
今回の長い長い奮闘記を終わります。
もし、免許がとれた時には、また報告したいと思います。
長々と読んでいただいて本当に有難うございました。