第1章 序論

 

1.1 本研究の背景

 アジア大陸の東端に位置する日本は、四方を海に囲まれ5,000余りの島々が、ほぼ3,000kmに亘って大陸と並行的に飛石のように連なる弧状列島を形成している。そのため国土の面積は狭いが、海岸線の延長は非常に長く、その総延長は地球直径の約2.7倍の長さに匹敵する約35,000kmに及び、日本は海岸線の延長距離では世界的にも有数の国の一つにランクされる。

 このような日本の海岸線には、古来より白砂青松に代表される自然景観豊かな原風景が広がり、海岸域は日本の歴史・文化・風土などの民族性を育む上で絶大な貢献を果たしてきている。また海岸域は生活圏との関連が深く、昔から漁業活動や港に利用されてきた経緯がある。日本では台風の襲来や大地震も度々発生するため、このような自然災害から誘発される高潮や津波などから国土や人命を守るために、防波堤や防潮堤などの建設が図られ、海岸域の防護整備が進められてきた。さらに近年は、海岸域が経済生産圏や観光スポットとして注目されるだけでなく、レジャー・スポーツなどのリラクゼーション的活動の場、汽水域・干潟・湿地などを含め、海鳥・底生生物・海浜植物などの多様な生態系を育む貴重な生物多様性環境の場として、極めて重要であると社会的に認識されてきている。

 しかし国土の狭い日本では、海岸域が経済・生産圏基盤の拡大・拡張域に向けられてきた。運輸・港湾施設の建造による大規模な海岸・海洋埋立て、宅地・工場・廃棄物処分場建設のための土地造成による広大な干潟・湿地の埋立て、海岸浸食防止のために建造された延々と続く防護施設や沿岸整備などによって、多くの海岸域では砂浜の消滅・破壊や海浜の人工護岸化による大規模な改変などが進み、日本の海岸域の自然景観は大きく変貌し、自然環境的にも危機的状況にある海岸域が多くなりつつある。

 このような海岸域の深刻な危機的現状を鑑み、日本国では、1999年に「海岸法」を大幅に改正している。これまでの台風、津波、高潮などの「災害から国土を守る」と言う視点と共に、新たに「海岸の環境を守る」ことや「海岸の適正な利用」と言う視点を加え、「防護」重視一辺倒から「環境」・「利用」との調和のとれた海岸保全や海岸域の在り方を推進することになった。

 消滅・破壊・改変問題に加え、海岸域の環境問題の中で、現在、社会的に最も深刻で関心の高い問題が、漂着ゴミによる海岸汚染問題である。日本の多くの浜辺では、今、大量の漂着ゴミが浜一面に覆い、足の踏み場もないのが実情である。まさに20世紀の文明社会を象徴した大量生産・大量消費・大量廃棄型社会の顛末の一端が、大量漂着ゴミとなって海岸線に押寄せていると言う状況にある。海岸域によっては中国・台湾・韓国・ロシアなどの近隣諸国からのゴミが大量に漂着している実態も認められ、国内外からの大量漂着ゴミで美しい自然景観を残している海岸線は、まさにゴミの墓場と化している実情にあると言っても過言ではない。日本では、今後益々、漂着ゴミによる海岸汚染問題は深刻化していくものと思われ、海岸環境を汚染・破壊する漂着ゴミ問題は上述した改正海岸法の趣旨からも21世紀の最重要課題であり、国家的取り組みが早急に望まれるところである。

 漂着ゴミ問題へのアプローチは、学術的調査研究よりもむしろ、市民団体、NGO、地方地自体などが主体に実施している海岸清掃活動が重要となっている1)3)。特に21世紀は「環境の世紀」と謳われ、「循環型社会形成推進基本法」成立のために議論された廃棄物処理やリサイクル対策等の在り方を通して、ゴミ問題への社会的関心が非常に高まっており、海岸環境保全の立場から漂着ゴミ問題に一層の関心が向けられるようになってきている。

 このような社会状況を背景に、最近、旧建設省や旧運輸省では、管轄する海岸域における漂着ゴミ実態の調査に取り組み始めている。しかし旧建設省では、地方治自体に対して海岸漂着ゴミ問題に関するアンケート調査を実施し、そのデータ分析に基づいて、漂着ゴミによる海岸汚染問題の深刻さを提示したパンフレットを200011月に作成したにすぎない4。旧運輸省では、予備調査として、19993月に日本海沿岸4箇所の海岸で漂着ゴミの実態を調査し、漂着ゴミの定量的評価や種類・国籍などの分析を行い、調査方法に重点を置いて検討しているが、漂着ゴミ問題取り組みへの指針などについてはほとんど明確にされていない5)。また環境庁では、20007月に廃プラスチック海洋汚染対策シンポジウムを開催し、日本列島における海洋のプラスチック漂流物や海岸に漂着するプラスチック類ゴミの現状について討論を実施し6)、廃プラスチックによる海洋汚染防止対策検討調査報告をまとめている7)。しかしこのような国機関による調査成果も、日本における漂着ゴミの実態を明確にしたものではなく、調査方法においても統一性は見られず、海岸域に押寄せる大量漂着ゴミの防止・処理対策の確立に繋がる成果には、まだほとんど至っていない。

 漂着ゴミ問題は日本列島全域に亘る社会的な海岸環境問題であることから、国機関、学術的学会、地方治自体、NGO、市民などあらゆる組織・団体・グループ・個人が一体となって、それぞれの可能な範疇で取り組むことが重要である。著者が所属している土木学会や地盤工学会では、漂着ゴミ問題に関する研究成果はほとんど公表されていない。最近、当研究室では、海岸域の環境問題や海浜地盤汚染問題として漂着ゴミ問題を取り上げ8),9)、その調査成果を両学会で公表し始めている。土木・地盤工学分野での、今後一層の学術的取り組みに期待するところである。

日本の海岸漂着ゴミ問題に対する学術的取り組みとしての主要な課題は、漂着ゴミの産出発生源と漂流漂着ルート把握に繋がる調査方法を設定し、防止・処理対策を確立することにあると考えている。特に、漂着ゴミには、海流に運搬されて漂着する遠距離漂流型ゴミと、海岸域の周辺・近傍から流出し漂着するゴミに大別されると思われる。両者の漂着ゴミに対する防止対策は全く異なることから、両漂着ゴミを明確に判別し定量的に評価できる調査方法を確立することがまず不可欠となる。また日本近海の海流ルートを考慮して、漂着ゴミの海岸域的特徴や経年的推移傾向の把握に繋がる調査海岸域を設定することが重要となる。

そこで、このような背景のもとで、本研究では、海岸漂着ゴミ問題へアプローチする調査構想を組み立て、日本列島での漂着ゴミ実態の分析評価を試みている。なお、著者は本科4学年の卒業研究と同じ課題で調査研究を継続し10)、今までの調査データを総括し知見を深める形で本論文を取りまとめている。また、著者はタイ王国留学生であることから、日本での漂着ゴミ実態に関する知見を通して、タイ王国の海岸環境保全の在り方を考え学ぶ意味で、タイ王国全海岸域での漂着ゴミ実態を調査し、日本での調査データとの比較を試みている。

 

1.2 本研究の目的と内容構成

 漂着ゴミ問題は、日本列島では全国的に深刻な海岸汚染問題となっている。防止・処理対策の確立のための学術的な調査研究成果はほとんど皆無である。本研究では、日本列島に押寄せ漂着するゴミは、近海の海流ルートと密接に関連していることを考慮して、産出発生源と漂流漂着ルート解明に繋がる漂着ゴミ実態の把握を目的として、漂着ゴミの構成・タイプや海岸域的特徴を詳細に明らかにすることに主眼を置いている。また、この調査成果が、社会的に警鐘を鳴らす役割を果たし、国家的に防止・処理対策が確立促進され、海岸環境保全への意識高揚に役立てばと期待している。本論文は以下に示す8つの章から構成され、各章の概要は下記に示す通りである。

 1では、まず漂着ゴミによる海岸汚染問題を取り上げた本研究の背景について概説している。また漂着ゴミの防止・処理対策を確立する上で、極めて重要となる漂着ゴミの産出発生源や漂流漂着ルート推察に主眼を置き、その目的達成のために日本近海の海流ルートを考慮して調査海岸域が設定され、漂着ゴミの構成・タイプ分析が実施されている本論文の内容構成が要約的に記述されている。

 2では、漂着ゴミの産出発生源と漂流漂着ルート解明に繋がる調査方法を確立するための調査ポイントや調査方針について明示し、周辺海流ルートとの関連から設定された主要な調査海岸域について説明している。

 3では、沖縄県八重山諸島(与那国島、波照間島、西表島、竹富島、黒島、石垣島)、宮古諸島(宮古島、多良間島、池間島、伊良部島)及び沖縄諸島(沖縄本島、伊平屋島、粟国島、久米島)からなる琉球諸島の13島と鹿児島県屋久島を対象とした調査データに基づいて、黒潮海流ルート沿い沖縄県から鹿児島県にまたがる南西諸島の島々での漂着ゴミ実態について詳述している。特に琉球諸島の調査データでは、年2回の春季と夏季調査及びそれを継続した長期的調査データを分析し、漂着ゴミの季節的変動傾向や経年的推移傾向についても論述している。

 4では、首都圏沿岸域を形成する相模湾・東京湾に面する関東沿岸域と、南西諸島から太平洋側を北上し関東近海で蛇行しながら太平洋沖合に向かう黒潮海流ルート沿い近傍の伊豆諸島・小笠原諸島(硫黄島)での漂着ゴミ実態を提示している。関東沿岸域での調査は大都市近郊の海岸域における漂着ゴミ実態を把握することが目的ではあるが、さらに関東沿岸域などの太平洋沿岸域から排出されたゴミの黒潮海流運搬による行方を推察するために、三宅島、八丈島、硫黄島の調査データを分析し提示している。硫黄島は東京から南方沖合へ1,240km離れた絶海の孤島である。もしもこの島に大量のゴミが漂着していて、しかもこれらのゴミの構成・タイプと特徴が、関東沿岸域、三宅島、八丈島のものとの延長線上で説明し得るのであれば、大量の日本製ゴミが太平洋に点在する外国の島々の海岸汚染を引き起こしている可能性が高く、その懸念についても推察している。

 5では、鹿児島県奄美諸島西方沖合で黒潮海流から分岐して日本海を北上する対馬海流に特に注目し、九州玄海灘から北海道に掛けての日本海近海の8離島(対馬、壱岐、舳倉島、佐渡島、飛島、奥尻島、利尻島、礼文島)と、この海流沿いに面している山陰沿岸(山口・島根県)、新潟沿岸、北海道日本海沿岸、さらに対馬海流が東北日本海上で分岐し回り込む津軽海峡沿岸(青森県下北半島)及び北海道オホーツク海沿岸での調査データを提示し、対馬海流ルート沿い近傍の日本海側海岸域を中心にその漂着ゴミ実態と海岸域的特徴について詳述している。

 6では、まず漁具類とタイヤに着目して、その漂着実態について全国的にまとめて提示している。また大量に漂着したゴミを直接焼却処分する「浜焼き」処理が多くの海岸で依然として実施されている実態があることから、危険な医療廃棄物(注射器と医薬ビン)の漂着実態と共に、「浜焼き」処理に起因する有害化学物質の発生流出の可能性について推察し、漂着ゴミによる懸念される恐ろしい海岸汚染問題について説明している。

 7では、これまでに分析提示してきた日本列島における漂着ゴミに関する調査知見に基づき、判別可能な漂着ゴミと判別不能な漂着ゴミの構成・タイプや海岸域的特徴を考慮して、日本列島への漂着ゴミの産出発生源と漂流漂着ルートについて考察している。また、タイ王国全海岸域に亘る42海岸での漂着ゴミ調査の分析データを提示し、日本列島での調査データとの比較において、タイ王国における漂着ゴミ実態と漂着ルートについて概説している。

 最後に、8では、今までの調査データから、社会的にも深刻さが一層増しつつある日本列島における漂着ゴミによる海岸汚染問題に警鐘を鳴らし、漂着ゴミ問題での主要な防止・処理対策と課題について要約的に論述している。

 本研究の流れと章構成を図1.1に示す。