手術シミュレータ用遭遇型ハプティックインタフェースの開発

医療現場において,手術計画の検討や技術向上のために,バーチャルリアリティ技術を応用した手術シミュレータの導入が期待されている.手術シミュレータでは,計算機内で構築された仮想人体に対して手術を行った際の反力を,ハプティックインタフェース(力覚提示装置)を用いて術者に提示することで,より現実感の高い手術感覚を体験可能である.このため,様々なハプティックインタフェースを有した手術シミュレータが開発されている.手術器械(術具)の形状は多種多様で,術具を介した力覚を提示するためには,術具を力覚提示装置に固定する方法が最も簡便である.しかし,機械的に固定してしまうと,手術手技において重要な術中の術具交換が困難になる.本研究ではMR(Magnetorheological) 流体を仮想臓器に見立て,直接術具でMR 流体に対して切断等の操作を行い,術具の交換が容易なハプティックインタフェースを提案している.

MR流体とモーションテーブルを組み合わせた遭遇型ハプティックインタフェースの概要

コンセプト

図1 サーボモータで駆動されるハプティックインタフェースに機械的に術具を固定し反力を提示する例 [6]

開腹手術や脳神経外科手術においては,ナイフや剪刀など多くの術具が用いられる.このため,ハプティックインタフェースにおいても,生体組織の切断時の反力を,術具を介した感覚として提示するのが望ましい.術具を介した感覚を提示するためには,簡便な方法としてサーボモータ等で駆動されるハプティックインタフェースの手先部に機械的に術具を固定する方法が考えられるが,術具を交換する際にネジなどを外す必要があり術具を頻繁に交換することができない.図1にサーボモータで駆動されるハプティックインタフェースに術具を固定し反力を提示する場合において,術具を交換する場合の例を示す.図1(a)において,操作者はナイフを介してハプティックインタフェースからの力を感じている.次に,ハサミを利用するために,まずナイフとハプティックインタフェースを固定しているネジを外す(図1(b)).そして,図1(c)に示すように,ハサミをとり,図1(d)のように,ハサミを取り付け,ネジを締める.これにより,図1(e)のようにハサミを介した力を感じることができるようになる.図1の(b)と(d)は,実際の手術には存在しない作業であれ,これらが手術シミュレーション中の現実感を低下させる.

図2 MR流体により切断力を提示 [6]

MR流体は印加磁場強度を変化させることで,見かけの粘性を短時間で変化させることができる流体である.磁場を印加してい状況において,この流体を術具で切断することで,あたかも生体軟組織を切断しているような感覚を感じることができる.術具にかかる抵抗力の強さは,コイルへの印加電流によって制御可能である.この方法では,術具を機械的に拘束していないため,術具がMR流体と接していないときは自由に術具を動かすことができ,また,術具を簡単に交換することが可能である.図2にMR流体により切断力を提示する場合において,術具を交換する手順を示す.

MR流体の切断

図3 MR流体を切断することで生体軟組織の切断抵抗力を提示する手法 [6]

図3に,MR流体を切断することで生体軟組織の切断抵抗力を提示する手法の概要を示す.MR 流体とは,シリコーンオイルなどの油を分散媒とし,その中に強磁性体粒子を分散させたコロイド溶液である.MR 流体中に分散されている磁性体粒子は磁場の印加により,鎖状クラスタを形成し,クラスタの結合力は印加磁場強度で調節することができる.本研究では,図3(a) に示すように,この鎖状クラスタを直接ナイフや剪刀等の術具で切断し,生体軟組織の切断感覚を模擬する. 前述の通り,術具にかかる抵抗力の強さは,コイルへの印加電流によって制御可能である.図4に,MR流体の切断の様子を示す.

図4 MR流体の切断の様子 [3] (動画:[ wmv ][ mpg ])

 しかし,MR流体の降伏点におけるひずみは非常に小さく,生体軟組織のような大変形を表現することはできない[1].そこで,図3(b)のモデルに示すように,MR流体の入った容器をサーボモータで駆動することで,仮想的に大変形を表現できるようにした.

試作したインタフェース

図5 試作したインタフェース [3] (動画:[ wmv ][ mpg ])

研究の初期段階として,まず2自由度のインタフェースを試作した.図5に示すように本装置は,流体を入れる容器と,電磁石,サーボモータで駆動されるモーションテーブルから構成される.電磁石によってMR流体に磁場が印加され,このMR流体,流体容器および電磁石は,モーションテーブルによって駆動される.モーションテーブルを動作させることによって,大変形時の生体軟組織の挙動を表現できることを確認している.

センサ一体型術具との統合

高精度に人の手に力を提示するために,術具側に力センサを組み込んだセンサ一体型術具を開発した.センサによって計測された力を無線で力覚提示装置の制御装置に送信し,力制御を行うことが可能である.誤差0.15 [N]以下の精度で制御可能であることが示された(図6) [33].

図6 センサ一体型術具の2方向計測値に基づいたMR流体を用いた遭遇型力覚提示装置の力フィードバック制御

手術シミュレーションソフトウエアとの統合

図7 手術シミュレータの構成例 [6]

図7に,本装置を用いて手術シミュレータを実現するために構成例を示す.MR流体をいれた容器は6自由度のモーションテーブルで駆動され,MR流体の中に術具を挿入して反力を提示する.術具の位置情報は,モーションキャプチャーシステムによって取得し,コンピュータの中の仮想術具の位置に反映する.有限要素法等の手法を用い,仮想環境内で術具が生体組織を切断した際の反力を計算し,ハプティックインタフェースの制御計算機に送る.制御計算機は,与えられた目標反力に従い,モーションテーブルとコイルへの印加電流を制御することで,反力を提示することが可能となる.

謝辞

本研究は,以下の補助を受けて実施した.
  1. JSPS科学研究費補助金 若手研究 (B),術具による生体軟組織の切断感覚を提示可能なハイブリッドハプティックインタフェース,2010年度~2011年度.
  2. JSPS科学研究費補助金 若手研究 (A),機能性流体の鎖状クラスタ切断抵抗を利用した力学的脳組織模擬手法の確立,2012年度~2015年度.
  3. JSPS科学研究費補助金 基盤研究 (B),機能性流体による力学的脳組織模擬における流動現象の解明と手術シミュレータへの展開,2016年度~2018年度.
  4. 公益財団法人 JKA 研究補助 複数年研究,MR流体とモータで繊細な力を提示可能な手術シミュレータの開発補助事業,2020年度~2021年度.

参考文献

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