柔道部紹介







百錬鉄石心


大道場の敷居をまたぎ、威儀を正して正面に頭を垂れる。その頭上に如何にもどっしりと、重 量感のある表題の額が掲げてある。営々と積み重ねてきた猛稽古の幾星霜、汗と涙に肌を光 らす闘士を静かに見下ろしている。この筆太の書額について解説する。

この額は、2期の先輩諸兄の心尽くしによるもので、昭和33年3月卒業に当たり部員の志 気を鼓舞するためにと目録を残してゆかれた。そこで田中部長が心を砕かれ「百錬鉄石心」の 題字を決定、麓先生に揮毫を戴き、33年夏稽古の直前に道場に掲げられたものである。今で は過日の台風で雨漏りを受け、一部にしみを作っているが、これがかえって質実剛健の気風 を増し、見上げる者をして奮起せしめる効果を顕わしている。

次に文献によりこの題字の解説を附す。


(1) 百錬ということ五輪書 水の巻 巻尾の頁より

右書き付くる所一流劔術の大方此巻に記し置く事也 兵法太刀を取りて人に勝つことを覚 ゆるは先づ五の表を以て 五方の構を知り 太刀の道を覚えて惣体自由(やはらか)になり  心のきき(利き はたらき)出て道の拍子を知り、おのれと太刀も手冴へて 身も足も心の儘に ほどけたる時に随ひ一人に勝ち二人に勝ち 兵法の善悪を知る程になり 此一書の内を一ヶ 条一ヶ条と稽古して敵と戦ひ 次第次第と道の利を得て 不断心にかけいそぐ心なくして 折々 手に触れては徳を覚え何れの人とも打ち合い其心を知って千里の敵も一足づつ運ぶなり緩々 と思ひ 此の法を行う事武士の役なりと心得て今日は昨日の我に勝ちあすは下手に勝ち後は 上手に勝つと思ひ此書物の如くにして少しも脇の道へゆかざる様に思ふべし従い何程の敵に 打ち勝ちても 習ひに背く事にては実の道に有べからず此理にうかびては一身を以て数十人 にも勝心の弁へ有るべし千日の稽古を鍛とし万日の稽古を練とす能々吟味有るべきもの也

 正保二年五月十三日      新免武蔵

    寺尾孫之亟殿      寺尾夢世勝延

  寛文七年二月五日

  山本源介殿

「・・・・法身も足も心の儘にほどけ・・・・」教を守り、道に遵ひ身も心も欺かる自由なる境地に 達することが肝要である。それには急がず、焦らず千日万日の鍛練が必要である。の意



(2) 鉄石心ということ

                  西郷南洲遺訓より

獄中の翁

翁は文久3年36歳、再度遠島を命ぜられ、徳之島在ること2ヶ月余沖永良部島に移る。 其時の牢獄は2坪余にして、東西に戸なく、南北に壁なく、繞らずに粗大なる格子を以てし、其 片隅に厠あり。風雨は吹通し、殆ど人の住む処に非ず。翁は其中に在り、水を求めず、湯を 乞わず、喫煙を断ち、終日座臥黙想す、間切横目役なる土持政照、一日翁に拆(ひょうしぎ)を 与えて用事あらば之を打たんことを請ふ。翁其厚意を謝したるも、一度も之を打ちしことなし。 斯くて数月、翁の言動和気旧の如きも顔色憔椅して、此世に久しかるべくもあらず、政照之を 苦慮し、強いて在蕃の藩史に請ひ、私費にて新に屋舎を造り、其中に座敷牢を設けて翁を移 す。是より翁の健康旧に復す。翁其誼に感じ、政照と兄弟の約を結ぶ。翁は、三宅尚斎獄中 に作なる式の辞を牢壁に書して、日夕吟誦したり。

富貴寿天不弐心  只向面前養誠心

四十余年学何事 笑坐獄中鉄石心

註 三宅尚斎は、浅見?斎、佐藤直方と共に崎門三傑の一藩人主阿部候をいさめて退かず 罪を得て獄に在り、銕釘を以て自らの血を出し、小木片をくだいて筆として血書をつづる。狼裳 録三巻、白雀録一巻はそれである。「鉄石心」はこれより採った。身を以てする修練は辛い。 困難を回避し、理想や信念を徹底し得ず、すぐ辟易する弱い吾人の心を鉄の意志をもって完 遂せよという意を偶した。