柔道部紹介







黄菊白菊



「黄菊白菊そのほかの名はなくもがな」

「勉学」を「黄菊」にたとえるならば、「運動」は「白菊」にたとえられる。勉学と運動、 ただこの二筋道に精進努力して欲しい。あれもしたい、これもやりたいと目うつりするな。なくも がなのその他は未練を残さず捨て去れよ、という初代部長 田中 秀雄 先生の教えである。

(「勉学」は、当然、防衛大学校の修学目的を逸脱するものではなく、幹部自衛官となるため に必要な訓練や学生舎生活も包含している)

その教えを示す遺稿から引用して以下に記す。

「黄菊白菊」

  田中 秀雄

どの道の修練過程に於いても、その技術の鍛練は必ずや人間形成の問題を伴うものであ って、両者は全く不可分一体的な関係にあるといってよいであろう。

かつて武道であって、柔道や剣道が終戦後一時禁止されていたが再びスポーツとして蘇っ た。あたかも不死鳥のように、しかしスポーツというと、何となく微温的、遊戯的な響きが伴い、 武道といえば封建的で人命を尊重しない時代遅れのもの、スポーツといえば近代的レクリエー ション的甘いものと考えたがる傾向がある。

しかしながら、ローマオリンピックの惨敗、更に昭和36年末の第3回柔道世界選手権大会の 敗北を機として、我が国スポーツのあり方についてようやく真剣に反省し、再出発を期する機 運が醸し出された。

我が防衛大学校は言うまでもなく国立で、運動部の力を強化しようと思ってもスカウトすること は勿論できない。それに理工系の頭脳を必要とするため、ここに入学するためには「狭き門」 をくぐらなくてはならない。従って常に三段位の実力のある新入生が入るとそれこそ笑いが止 まらない程の喜びである。しかしこういう人達に案外長続きせず、中途で落伍する者が多い。 高校三段といえば総じて技は器用で、中には天才的なひらめきを持つ者もある。けれども彼ら は部員としての稽古の苦しさや辛さに思いの外、耐えられない。いわゆる根性のない人達が多 い。彼らは部を去るに臨んで一様に次の如く言う。「柔道は高校時代でたいていやり終わっ た。1つのスポーツだけやってもつまらない。色々他のスポーツも体験してみたい。名士の講演 も聴きたい。疲れているときは軽い読み物でもあさって体を休めたい。」

稽古の苦難を回避して、いわゆるレクリエーション風なそれに逃げ込む口実です。柔道部 では毎年60名もらいますが、その内4年間、最後まで勤め上げうる者は10名を出ません。そ れとは反対に白帯で入り、毎日の稽古に立っている暇のない程投げられ続け、苦しみ通しの 者もおります。それに学校の特殊性より4年間カンズメ的な寄宿生活です。その上同じクラス の他の学生が楽しみにしている春休みもなく、夏休みも、稽古のために返上です。退部して安 きにつこうとしない彼らには頭が下がります。しかし恵まれない彼らも練習を積むに従い、3年 の秋頃からグッと重心も下がり、受けが強くなって、いわゆるシブトさが出てきます。レギュラー の選手も投げきれません。それにも増してこの苦しい体験を通して人間的に鍛練され、立派に 成長して、どんな人生の苦難にも耐え得る逞しい精神力を身につけます。

かつて旧制6高(岡山)が、高等専門学校柔道大会において8年連続優勝をしました。スカ ウトすることを許されない学校で、8年間の連続優勝は特記すべきことです。この輝かしい記録 こそは、それ以前7年間、宿敵旧制4高(金沢大学)に対して、文字通り臥薪嘗胆の思いで精 進した先輩の奮闘と、優勝してはじめて後、旧制松山高校(愛媛大学)の急迫に対し、並々な らぬ辛酸をなめた後進の努力とによって飾られた、栄えある歴史なのである。

日毎の猛練習に心血を注ぐ選手の、そして栄えある母校の歴史を汚すまいと奮闘する選 手の、あの涙ぐましい真剣さ、横溢した気迫は必ずや当時の全校生の志気を鼓舞し、精神的 な感応を与えたことであろう。全く「本職はだし」の猛稽古であった。

卒業部員より年賀や暑中見舞等をもらうことは、年老いた私どもには、この上ない喜びで あり、楽しみである。不思議なことに、こうした便りをくれる人々は、いずれも意義ある大試合に おいて、会心の勝負をした人々です。中には体力に恵まれず、レギュラーに選ばれなかった人 もありますが、いずれも思い出の道場に、苦しい血と汗を思うさま流した人達であって、「われ はなすべきをなした」という満足感と自信とを持って卒業した鉄の意志の人達である。

今や彼らは実社会に出て、道場で鍛え上げた体力を駆使して精力的な勤務ぶりを見せて くれているであろう。それよりも彼らの精神力・意志力は、なにものにも増して上司、否上司の みならず広く世間一般の尊敬と信頼を勝ち得ていると信ずる。

こういうと、私がいかにもスポーツ万能主義に傾いているような誤解を受けると思うが、私 はよく運動部の学生に服部嵐雪の

「黄菊白菊そのほかの名はなくもがな」

の句を示す。学生は学業にいそしむことが第一義である。学生が学業の修得という本領を 等閑視したのでは意味がない。しかし真実と情熱の青年期に於いて、真の人間形成のため、 貴重な体験を得ることはなにものにも増して有意義なことである。要するに

   「勉学」を「黄菊」

  にたとえるならば、

   「運動」は「白菊」

  にたとえられる。勉学と運動、ただこの二筋道に精進努力して欲しい。あれもしたい、これも やりたいと目うつりするな。なくもがなのその他は未練を残さず捨て去れよ。こう運動部の学生 に願っているのである。